スニーカー年表vol.02

昨今、多くの人が履いているスニーカー。
当たり前だがそのスニーカーにも深い歴史がある。

まず運動靴としてアスリートが履き始め、スポーツの現場で機能的に進化を重ねた。
その機能美がファッションとして昇華し、ストリートの若者に受け入れられた。
今では売っている靴の70%以上がスニーカーだというデータも出ている。
1900年代の初めには誰も履いておらず、2000年代の初めも35%前後だったというデータもある。

特に日本人はスニーカーを愛し、熱狂した。
その熱狂具合は、スニーカーの中心地がTOKYOになった程。

なぜ日本は、いや世界はここまでスニーカーに熱狂したのか…。
そして、これからも熱狂するのか?
スニーカーの誕生から現在までを振り返る。

第二回のこの記事は、スニーカーの誕生と、発展を支えたバスケットボールの誕生の話を紹介します。

INDEX

スニーカーの歴史は、ソールの素材であるゴムの歴史から始まる。

広辞苑によると、「底がゴム製の運動靴」とあるように、ソールがゴム製のものがスニーカー。このゴムが主役なのだ。

前回振り返ったように、歴史的発見のお陰でゴムは驚異的な進化を遂げた。

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元々、靴の歴史は紀元前7000年頃にヨモギの樹皮で作られたサンダルと言われている。

産業革命以降の1800年代には機械化が進み、ブーツや革靴は一般的に履かれていた。

どうやってスニーカー(底がゴム製の運動靴)のシューズが生まれたか?

ゴム製ソールが必要な状況が生まれたからだ…。

それが、屋内スポーツ「バスケットボール」の誕生だ。

上司の無茶振りから生まれた?
バスケットボール誕生

1891年、アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAトレーニング・スクールのカナダ人体育担当教師ジェームズ・ネイスミスによってバスケットボールは誕生する。

冬季は積雪の為、体育館で体操科目をやる事が多かった。

しかし、夏期に行うアメリカンフットボール、サッカーに比べて意欲が低く、体操での身体の鍛錬よりスポーツとしての楽しみを生徒達は求めていた。

そんな中、トレーニング・スクールの科長ギューリックは、ネイスミスに全く「新しいゲーム」を考えるように求めた。

バスケットボールは、そんな上司の無茶振りから生まれたのだ。

ネイスミス13条のルール。

ネイスミスは、既存のスポーツを屋内で出来るか?を試してみた。

アメリカンフットボールをやると、ラフプレーが多く出て怪我人が続出。

サッカーをやると、体育館の窓が粉々になった。

「なぜ、ラフプレーが起きるのか?」

ネイスミスは、ボールを保持して動くから、タックルが発生する事に気づく。

ラフプレーが起きにくくする為に、ボールを持ったら動いてはいけないルールにした。

「窓を割らない為には、どうすればいいか?」

ボールを持って動けないのであれば、シュート(ショット)しなくてはいけなくなる。

そうすると、必然的に力一杯シュートするようになり、窓が割れやすくなる。

その解決策として、ゴールを上に設置し、シュートを放物線で無いと入らないようにする事にした。

このように、現在まで変わらないルールも含め13のルールが決められた。

桃のカゴ?
BASCKET BALL(籠球)

ネイスミスは、ボールをサッカーボールにする事にしたが、ゴールをどうしようかと体育館の管理人に聞いてみた。

「桃の収穫に使う籠ならありますよ。」と管理人が持ってきてくれた為、その籠を体育館の2Fバルコニーの足元に来るように付けてみた。

その高さがちょうど10フィート(3.05m)で、それが現在も公式の高さとなっている。

バスケットボールの初試合が終わり、その試合の参加者が地元に帰って広める事になるのだが、その際に名前が無い事で広めにくい状態になった。

その際に、考え出した本人の名前を取る「ネイスミス・ボール」となる案もあったが、ネイスミス自身が嫌がり、「カゴとボール」という意味で「Bascket ball」とした。

1921年から現在のように「Bascketball」と一語で表されるようになった。

日本人がいた? 世界初試合開始!!

バスケットボールの世界初試合は、18人で行われた。バスケットボールは1894年まで特に人数制限が無く、1897年に今まで続く「5人制」に変更となる。

この18人の中に、なんと日本人がいたのだ。その名は「石川源三郎」。

彼は群馬県出身のクリスチャンで、20歳の頃に渡米。彼の希望だった「次代を担う若い人への奉仕」を実現する為、YMCA(Young Men’s Christian Asociation キリスト教青年会)トレーニング・スクールに入学。

絵が得意だった石川は、世界初の試合の様子をスケッチし、バスケットボールを紹介する雑誌の挿絵に使われた。

彼は、歴史的な瞬間に立ち会っただけでは無く、バスケットボールを広める為にも貢献していたのだ。

石川源三郎が書いた世界初の試合の様子をスケッチし、バスケットボールを紹介した。

スニーカー誕生?
バスケットシューズ誕生秘話。

世界初のバスケットシューズは、1917年に誕生した|CONVERSE コンバース|のオールスターと言われている。

ただ、バスケットボールは1891年の誕生から瞬く間に全米に広がり、1896年には700人の観客が入る「史上初のプロゲーム」が開催される程の人気だった。

そう考えると、バスケット用の靴が1917年の前に作られていたと考える方が自然だ。

|Keds ケッズ|の前身でグッドイヤーの会社も含めた多くのゴム会社が合併して出来たU.S.Rubberという会社があった。

1900年のカタログでは100種類ものラバーシューズが販売されていた。

そのカタログの中には「バスケットボールシューズ」という名前は無い。ただ、販売されていなかった(バスケット誕生から9年しか経っておらず専門で商品化するレベルでは無かった?)だけで、バスケット用に作られていたかもしれない。

U.S.Rubberに合併する前のコルチェスター・ラバー・カンパニー等がバスケットボール用の靴を1892年に作ったという説もある。(その開発にネイスミスが関わったという話も)

それが本当であれば、1893年にボート競技で初めてスニーカーが誕生したとされるが、1892年にゴム底の運動靴(スニーカー)は誕生していた事となる。

本当かどうか?は分からないが、体育館で俊敏に動く為には、ゴム底の運動靴は絶対的に必要である。

創造力豊かなネイスミスなら「バスケットシューズ」の製作を行ったかもしれない。

コルチェスター・ラバー・カンパニーの復刻スニーカー。

バルカナイズ製法が出来て、約50年が経って「スニーカー」が誕生した。

室内スポーツであるバスケットボールの誕生の手助けもあったかもしれない。このバスケットボールとは、今後も長く絡み合って共に成長し、ファッションとしても昇華していく事となる。が、またそれもいずれのお話。

次は、近代オリンピックの誕生とイギリス・アメリカのランニングシューズブランド|Reebok リーボック||Saucony サッカニー|誕生のお話。

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