|ASICS アシックス|とは、鬼塚喜八郎が創業したフットウェアブランド。
社名の由来は古代ローマの風刺作家ユベナリスの「Anima Sana In Corpore Sano」という言葉の頭文字から。
意味は「健全なる精神は健全なる肉体にこそ宿るべし」。

日本のフットウェアブランドの中で1番の売上を誇る。

あまり派手なイメージはないが、なんでこんな売れているの?や、ただのスポーツブランドでしょ?と思っている人も多いのではないでしょうか。

深い歴史から、ブランドライン・人気アイテムまで徹底解説をします。

INDEX

|ASICS|
歴史

「Anima Sana In Corpore Sano」
世界に健全な精神を伝えるブランドの歴史

|NIKE|を創業するフィル・ナイトは、|ASICS|創業者鬼塚喜八郎と1964年に出会う。

その時、情熱的なナイトを見て「若い頃の自分を見ているようだ」と思ったそうだ。
また、ナイトは鬼塚の靴を見て「これは売れる」と思ったそうだ。

後にスニーカー界の怪物となる男とシンパシーを感じ、惚れさせた魅力は何なのか?
歴史を紐解きます。

鬼塚喜八郎誕生と「asics」由来

創業者・鬼塚喜八郎は、1918年に鳥取県鳥取市で坂口家5兄妹の末っ子として生まれる。

戦時中に青春時代を過ごしたため、喜八郎も将校を目指し鳥取一中に入学。
同級生に日本プロ野球で第一号ホームランを打つ藤井勇がいる。

苦難があったものの、無事に将校になった喜八郎は上田中尉と出会い、懇意となる。
上田はビルマ戦線に参加することになるが、鬼塚家に養子縁組する予定だった。
「ビルマに行っている間、鬼塚夫妻を頼む」という上田からのお願いをされる。

戦後に上田の戦死通知が届き、鬼塚夫妻からも「面倒を見て欲しい」との相談もうけ、鬼塚家の養子になるために神戸へ行くことに。

3年ほど働いた商社を退職後、兵庫県教育委員会の保健体育課長であった堀公平から「子供たちがスポーツに打ち込める靴を作って欲しい」との依頼と、「健全なる精神は健全なる肉体にこそ宿るべし」という言葉を受ける。

この言葉が後に誕生する|asics|の由来となる。ラテン語で「Mens Sana in Corpore Sano」というが、Mens(才知、精神)をAnima(生命)に置き換え、頭文字をとり「A・S・I・C・S」と名付けた。

鬼塚株式会社と日本スポーツの発展

1949年3月に個人事業「鬼塚商会」を立ち上げる。堀の力添えで配給問屋の資格を得て、仕入れ品を配給しながら製造技術の特訓をうけた。

その努力のおかげもあり、同年9月には社員4人からなる「鬼塚株式会社」を設立。
それから神戸高校バスケットボール部に張り付いて、バスケットボールシューズの会社つに乗り出す。

1951年に、タコの吸盤をヒントに凹型の底の「鬼塚式バスケットシューズ」を発売。神戸高校の全国優勝もあり、世間に広まっていく。

しかし、それに満足しない喜八郎は肺結核になりながらも仕事に打ち込む。
1953年にはマラソンシューズの開発を開始。
当時、マラソンは足にマメが出来るのは当然で「マメの出来ない」靴を開発することに決める。
マメができる原因は、熱がこもることだと判明し、「エアーベントシステム」をシューズ開発。
これは、風通しを良くし、着地した時に足と中底の間にたまった熱い空気が吐き出され、足が地面から離れると冷たい空気が流れ込むという空気を入れ替える構造。後に特許を取得する。

1956年には、鬼塚のスポーツ振興が評価され、メルボルン五輪のトレーニングシューズとして正式採用される。

NIKEとの関係

|NIKE|創業者のフィル・ナイトは、「日本のスポーツシューズが世界を席巻する」というアイデアをスタンフォード大学時代に思いつく。

卒業後、世界一周するついでに日本に寄り、神戸にある鬼塚株式会社に単身乗り込む。

「ブルーリボンスポーツ」社という存在していない会社の代表として話をする。
鬼塚側も世間知らずの男に最初は相手にしていなかったが、スポーツシューズに対しての知識の高さから興味を持って話すようになる。
当時アメリカには、|CONVERSE|しか大きなシューズメーカーが無く、魅力的な市場として考えていたこともあり、アメリカの代理店として契約に成功する。

その後、鬼塚からサンプルが届くと、大学時代の恩師ビル・バウワーマンに送る。

このバウワーマンは、大学のコーチだけでなく1964年の東京オリンピックのコーチとして参加するなど、陸上競技界では有名人だった。

バウワーマンの存在は鬼塚にとっても大きく、彼のアイデアから「コルテッツ」が生まれた。

しかし、次第に鬼塚の日本国内を優先することによる納期遅れや、鬼塚側が「ブルーリボンスポーツ社」を子会社化しようとする動きへの不信感が高まる。
フィルは日商岩井の力を借りて|NIKE|を立ち上げる。

当時人気だった「コルテッツ」は|Onitsuka TIGER|と|NIKE|のどちらともで販売されていた。

その後、鬼塚と裁判になるが、鬼塚側の証言に問題があり、商標部分での勝訴。
コルテッツ」は|NIKE|が使えるようになり、損害賠償も40万ドル受け取る事に。

|ASICS|版コルテッツ

|NIKE |版コルテッツ

|ASICS|
年表

「Anima Sana In Corpore Sano」
世界に影響を与えるブランドになるまでの軌跡

'1949

「鬼塚株式会社」
設立

1949年3月に靴の卸問屋「鬼塚商会」が創業。
スポーツをするための靴作りを目標に、
靴作りのノウハウを習得し同年9月に鬼塚株式会社を設立。
兵庫県の高校と共同でバスケットシューズの開発を始める。

'1951

「鬼塚式バスケットシューズ」
発売

創業当時から神戸高校バスケットボール部に張り付き開発。
同校の全国優勝もあり、世間に広がっていく。

'1960

「マジックランナー」
発売

1953年からマラソンシューズの発売をスタート。
当時マラソンは足にマメが出来るのは当然で「マメの出来ない」靴を開発。
靴のなかの空気を循環させる「エアーベントシステム」をシューズ開発。

'1964

フィル・ナイト
対面

陸上をしていたフィルは、日本の技術力の高さや製造コストの低さに注目。
日本のスポーツシューズが世界に通用する可能性を感じていた。
日本に卒業旅行に行き、取引先を探している中で鬼塚喜八郎と出会う。

'1969

「コルテッツ」
発売

|NIKE|の前身BRS社共同創業者ビル・バウワーマンが、
ケニー・ムーアがトレーニング中に骨折をしたことをきっかけに、
ムーアのための特製シューズとして制作。

'1974

|NIKE|
裁判で敗訴

「コルテッツ」の使用権について裁判を起こされ、
オニツカはナイキに1億数千万円の和解金を支払うことになった。
「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」に名称を変更。
海外の販売店がライバル商社と提携した上に唆されて裏切り訴えられて、
和解金を支払う羽目になるという「高い授業料を払わされた」ことに。

'1977

|ASICS|
スタート

鬼塚株式会社、株式会社ジィティオ、ジェレンク株式会社が対等合併し、
総合スポーツ用品メーカー「株式会社アシックス」が誕生。

'1986

GEL搭載ランニングシューズ
発売

足を衝撃から守るシリコーン製緩衝材「αGEL」を世界初搭載。
以降、GELはアシックスの代表的な機能素材として、進化を続けている。

'2002

|Onitsuka Tiger|
復刻

スポーツシューズであるオリジナルのオニツカタイガーをベースに、
カットやカラー、構造にアレンジを加え、
「MEXICO 66」「CALIFORNIA 78」「NIPPON MADE」誕生。

'2010

|HAGLOFS|
子会社化

スウェーデンの1916年創業ブランド|HAGLOFS|。
売上高の5割以上を北欧市場が占めているが、知名度は日本でも高く、
「ホグロフスは磨かれざる原石」と考え買収を行う。

'2015

|ASICS TIGER|
スタート

1977年創設当時のロゴ「ASICS」に「TIGER」の文字を加えて制作。
スポーツブランドがもつ普遍的な躍動感と、
アクティブなライフスタイルシーンを彩る力強さを表現した。

|ASICS|
アイテム

「Anima Sana In Corpore Sano」
世界に健全な精神を伝えるアイテム達

|ASICS|創業者鬼塚喜八郎が靴作りを1949年に始め、70年以上。
そんな歴史あるアイテムを紹介します。

コルセア | CORSAIR

参考価格    ¥37,400-

人 気
2.5/5

1969年に前身のコルテッツをアメリカで発売。
このコルテッツは、アメリカでオニツカ製品の販売をしていたナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社が生み出した。BRS社の共同創業者でもあるビル・バウワーマン氏の試行錯誤によって完成。軽量でクッション性に優れるランニングスニーカー。
1971年にBRS社とオニツカは決別。同年6月には「SWOOSH スウッシュ」と呼ばれるロゴマークが配されたシューズがナイキ名義で販売。一時期、オニツカ製とナイキ製のふたつのコルテッツが市場に存在していた。1974年BRS社が「コルテッツ」の商標使用権を得るかたちで勝訴。オニツカは、「コルセア」という名に変更した。

ゲルライトⅢ | GEL-LYTE III

参考価格    ¥14,300-

人 気
2.5/5

1990年にリリースされたランニングシューズ。
2015年にスタートした|ASICS TIGER アシックスタイガー|でよく復刻している。
Gel-Lyte IとGel-Lyte IIは復刻されずいきなりIIIなのかというと、実はこれら3モデルのデザインに大した違いが無いため。当時はストイックなランニングモデルという位置付けであり、外観の面ではわずかなマイナーチェンジにとどまっていた。IIIで新たにタンを縦に大きく2分割し甲部分を包み込むようにフィットさせる”スプリットタン”が採用され、着用者の足の甲に掛かる負担を軽減させた。

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