昨今、多くの人が履いているスニーカー。
当たり前だがそのスニーカーにも深い歴史がある。
まず運動靴としてアスリートが履き始め、スポーツの現場で機能的に進化を重ねた。
その機能美がファッションとして昇華し、ストリートの若者に受け入れられた。
今では売っている靴の70%以上がスニーカーだというデータも出ている。
1900年代の初めには誰も履いておらず、2000年代の初めも35%前後だったというデータもある。
特に日本人はスニーカーを愛し、熱狂した。
その熱狂具合は、スニーカーの中心地がTOKYOになった程。
なぜ日本は、いや世界はここまでスニーカーに熱狂したのか…。
そして、これからも熱狂するのか?
スニーカーの誕生から現在までを振り返る。
第一回目のこの記事は、2人の「ゴムに賭けた男」を紹介する。
スニーカー年表
Chronology of SNEAKER.
vol.01
vol.02
vol.03
vol.04
vol.05
vol.06
vol.07
INDEX
マッキントッシュクロス発明
ゴムに賭けた男①トーマス・ハンコック
スニーカーを辞書で引くと、
「ゴム底の布製または革製のスポーツシューズ。」
と記載されている。
ゴムと布や革で構成されるスポーツ向きの靴の事をスニーカーと言うが、スニーカー=ゴムといっても過言では無いほどゴムはスニーカーにとって必需品なのである。
つまり、スニーカーの歴史の第1章はゴムの進化だ。
ゴムは元々こんなに強いものでは無かった。
世界で初めてゴムを用いた衣服が一般化されたのはレインコートだと言われている。
そのコートを高いレベルで生産し流通させたのが、イギリス生まれの|Mackintosh マッキントッシュ|。
Mackintosh【ファッションブランド】
スコットランド人のチャールズ・マッキントッシュが1830年に創業したファッションブランド。
1823年に「マッキントッシュクロス」という防水布を開発し、防水用コートである「ゴム引きコート」を販売した事でお馴染み。
ゴム引きコートとは、2枚の生地の間に天然のゴムを塗り、圧着させた防水生地で製造されたレインコート。
そのコートの素材を「マッキントッシュクロス」と呼び、1823年にチャールズ・マッキントッシュと発明家トーマス・ハンコックの共同開発によって生まれた。
このゴム引きコートが生まれるまでには、トーマス・ハンコックの「ゴムで人々を自由にしたい」という熱い想いが生んだと言っても過言では無い。
産業革命まっただ中の1800年代初頭、雨の多いイギリスでは油を染みこませた布のコートなどを着用していた。あくまで布だった為、水に濡れやすく着ていると冷えてくる。
当時の移動手段は馬車で、雨の日の移動は厳しかった。
兄弟とともに駅馬車業をやっていたトーマス・ハンコックは、お客様が移動中に濡れないようにする方法を模索。
1819年にゴムを使い伸縮性と防水性のあるサスペンダーや手袋、靴に靴下の留め具を開発する。
ゴムの可能性に気づいたハンコックは、チャールズ・マッキントッシュとゴムを使った布を開発を始める。
そして、1823年に2枚のコットン生地の間にゴムの溶液を塗って熱を加えて接着した防水布「マッキントッシュクロス」を発明する。
その後、特許を取得。最初は生地だけを販売し、仕立ては購入者任せだったが、1830年にトーマス・ハンコック商会と合併後、既製品の生産販売に乗り出した。
発売当初、「完全防水コート」として大ヒット。陸軍、海軍や鉄道会社などに納入し、雨の多いイギリスの「働く男達の共」として活躍した。
当時の汽車の客車には、1等車以外は屋根が無い事も多く、このゴム引きコートを持っていないと、雨の日は汽車に乗れない状況だった。
その為、一般的にも流通し、今でもイギリスではレインコートの事を「マッキントッシュ」と呼ぶ人もいるとか。
ただし、この素材にも欠点があった。暑くなるとゴムが溶け出して生地同士がくっつき、逆に寒くなると生地が硬くなってしまう。
ゴム特有の匂いもかなり強く、「働く男達の共」としても、ファッションアイテムとしても、改良が必要な状況だった。
トーマス・ハンコックは、この生地の改良の為に苦心していた。
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世紀の大発見
ゴムに賭けた男②チャールズ・グッドイヤー
そんな「ゴム」に、人生を賭けた男はアメリカにもいた。
フィラディルフィアで農具店を営んでいたチャールズ・グッドイヤー。その男だ。
彼は健康問題を抱え、事業が傾いて破産する。多大な負債を抱えてる事となった。そんな状況の中で、当時新素材であった「ゴム」に可能性を感じ、「ゴム」の可能性に賭けていく。
グッドイヤーが、どれくらい「ゴム」に賭けていたか?
彼は借金を返す事が出来ず、債権者に訴えられ何度も刑務所に入れられた。
その他にも、実験を繰り返すうちに、有毒なガスを発生させてしまい死にかけたことも…。
借金を背負い刑務所に入れられても、実験中に死にかけても、チャールズ・グッドイヤーは「ゴム」に賭けていた。
1939年のある日、研究中のグッドイヤーは硫黄を混ぜた天然ゴムを誤ってストーブの上に落とした。それが世紀の大発見に繋がる。
ストーブの上の天然ゴムは解けること無く、表面は黒く革のように焼き焦げた。
それを触ってみると、「力を加えても元に戻る」理想的な弾性。更に、気温の影響を受けないという夢のような素材だった。
グッドイヤーは硫黄を混ぜ加熱するとゴムの耐熱性が上がるという、世紀の大発見をするのだ。
特許取得後、裁判
アフター・ゴム革命
世紀の大発見をしたグッドイヤーでしたが、硫黄がゴムの性質を変える事は分かったものの、まだ完全には理解していなかった。
その為、製品化に手こずっていた。
健康状態が良く無い中、実験を繰り返した。その後、華氏270度を維持し4-6時間蒸気で圧力をかけた場合に一定の結果が得られる事を発見。
その結果をもとに特許を申請(時期不明)し、出資を求める為に様々な会社に製法・成分を明らかにせずサンプルを送った。
そのゴムのサンプルを、ゴムの改良に苦心していたトーマス・ハンコックが手に入れる。
ハンコックが率いる研究チームは、ゴムの分析を開始。
表面に硫黄分が付着している事に気づいた。
その後、硫黄などの添加剤や加熱温度など、ゴムが素材として安定する仕組みを解明。
製法を確立したハンコックは、イギリスで特許を申請した。グッドイヤーがイギリスで特許申請を行う数週間前のことだった。
ハンコックは、1843年11月21日に特許を取得。グッドイヤーがアメリカで特許を取得した8ヶ月前(1844年6月15日)の事だった。
この画期的な発見は、特許侵害が頻発。グッドイヤーは、訴訟で対抗し、32件もの裁判を連邦最高裁判所まで戦う事となる。
また、イギリスでもグッドイヤーがハンコックを訴え、10年間に渡る裁判を行うが、敗訴に終わる。
数多くの裁判を行い、裁判費用で莫大な借金を抱えたグッドイヤーは1860年に死去。
その徹底抗戦の構えが功を奏してか。家族はアメリカの特許収入で安定した生活を送る事が出来た。
また、グッドイヤーの発明への熱い想いは、息子のチャールズ・グッドイヤー二世が生み出した「グッドイヤー・ウェルト製法」に繋がる。
スニーカーに必要な素材を生んだ男の子供が、高級革靴の製法を生み出すという、なんとも興味深い歴史。
一方、ハンコックは「マッキントッシュクロス」の改良に硫黄添加のゴムを応用。ワークウエアが中心だった|Mackintosh|のゴム引きコートを、ファッションアイテムへと昇華させた。
スニーカーの根幹であるソールになり得る「ゴム」はこうやって生まれたのだ。
この高品質のゴムを製作する工程をトーマス・ハンコックがこう名付けた。
「バルカナイズ製法(バルカナイゼイション)」
この名前は、ローマ神話に登場する火と鍛冶の神「バルカン」に由来する。
それでは、スニーカーはどうやって生まれたか?
それは次のお話。
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