世紀の大発見をしたグッドイヤーでしたが、硫黄がゴムの性質を変える事は分かったものの、まだ完全には理解していなかった。
その為、製品化に手こずっていた。
健康状態が良く無い中、実験を繰り返した。その後、華氏270度を維持し4-6時間蒸気で圧力をかけた場合に一定の結果が得られる事を発見。
その結果をもとに特許を申請(時期不明)し、出資を求める為に様々な会社に製法・成分を明らかにせずサンプルを送った。
そのゴムのサンプルを、ゴムの改良に苦心していたトーマス・ハンコックが手に入れる。
ハンコックが率いる研究チームは、ゴムの分析を開始。
表面に硫黄分が付着している事に気づいた。
その後、硫黄などの添加剤や加熱温度など、ゴムが素材として安定する仕組みを解明。
製法を確立したハンコックは、イギリスで特許を申請した。グッドイヤーがイギリスで特許申請を行う数週間前のことだった。
ハンコックは、1843年11月21日に特許を取得。グッドイヤーがアメリカで特許を取得した8ヶ月前(1844年6月15日)の事だった。
この画期的な発見は、特許侵害が頻発。グッドイヤーは、訴訟で対抗し、32件もの裁判を連邦最高裁判所まで戦う事となる。
また、イギリスでもグッドイヤーがハンコックを訴え、10年間に渡る裁判を行うが、敗訴に終わる。
数多くの裁判を行い、裁判費用で莫大な借金を抱えたグッドイヤーは1860年に死去。
その徹底抗戦の構えが功を奏してか。家族はアメリカの特許収入で安定した生活を送る事が出来た。
また、グッドイヤーの発明への熱い想いは、息子のチャールズ・グッドイヤー二世が生み出した「グッドイヤー・ウェルト製法」に繋がる。
スニーカーに必要な素材を生んだ男の子供が、高級革靴の製法を生み出すという、なんとも興味深い歴史。
一方、ハンコックは「マッキントッシュクロス」の改良に硫黄添加のゴムを応用。ワークウエアが中心だった|Mackintosh|のゴム引きコートを、ファッションアイテムへと昇華させた。