第二次世界大戦の敗戦から日本は立ち直ろうとしていた。
戦後最初のファッションリーダーはアメリカ兵士を相手にしていた売春婦。
戦争の傷痕が癒えてきた日本は、ファッションを次第に開拓しだす。
研究熱心な国民性が相まって、「世界一ファッションにこだわる国」への道を歩む。
'51
石津謙介が創業した石津商店が会社名を|VAN|に改名。
裕福なエリート層にスーツやコートの既製服を売り出す。
'54
戦後の復興が進み、一部の女性はパリを参考におしゃれを楽しんでいた。
そんな中、雑誌「婦人画報」の編集部に男性に対しての不満が届く。
「夫が味気ないスーツでパーティーに参加する」という声に応えて、
石津謙介を編集部に迎え、雑誌「男の服飾」を創刊する。
'64
石津謙介が雑誌や|VAN|を使ってアイビーファッションの流行を作った。
若い男性がその装いを纏って、銀座みゆき通りに大量に出没。
男がおしゃれを楽しみ異性と交流する事を受け入れられず、
当時の大人達は警察に「浄化してくれ」と通報する。
東京オリンピックが開催される事もあり大々的に取締りが強化される。
'75
ベトナム戦争以降、アメリカを嫌う人が増えてきており、
ファッションもヨーロッパを参考にすることが主流となっていたが、
アメリカのアイテムを紹介するカタログ型雑誌「Made in U.S.A.」が誕生。
この雑誌が人気を博し、アメリカがファッションの手本に返り咲く。
これを期に|BEAMS|などのセレクトショップが誕生する。
'78
ヒッピーファッションの流行と共に「ジーンズ」が大流行。
アイビーは反体制から大人しいおぼっちゃまファッションの扱いに。
事業を多角化していた|VAN|のブランド力は次第に落ち、倒産。
経済成長により日本人は敗戦から立ち直り、自尊心を持ち始める。
そんな中、パリコレで2人のデザイナーがデビューを飾り、DCブランドブームが到来。
その反動として「アメカジ」や「裏原」というストリート発のブームが誕生する。
'81
|COMME des GARÇONS|と|Yohji Yamamoto|がパリコレに参加。
オールブラックの身体のラインを隠したオーバーサイズのスタイルを発表。
「ボロ布のようだ、ヒロシマ・シック」と揶揄された反面、
「黒の衝撃」と賛否両論の一大旋風を巻き起こす。
'88
パリコレデビュー以降日本のデザイナーブランドがブームに。
その反動で都内有名私立高校生がアメカジを集団で着用し渋谷を闊歩。
日本で初めてのストリート生まれのファッショントレンドとも言われる。
'93
アメリカでは|STUSSY|などのストリートブランドが流行。
日本でも藤原ヒロシが|GOOD ENOUGH|を立ち上げる。
それに憧れたNIGO®︎と高橋盾がショップ「NOWHERE」をオープン。
「裏原系」が大ブームとなり、世界的にも注目される事となる。
'99
1995年「アムラーファッション」ブームからギャルファッションが流行。
その先陣を切っていた雑誌「egg」が男性向け「Men’s egg」をスタート。
女性のファッションに合わせる形で「ギャル男」という言葉が誕生する。
'00
ヘアスタイルとファッションを紹介する雑誌「chokichoki」がスタート。
翌年から美容師を中心に「おしゃれキング」と呼ばれる読者モデルが誕生。
2006年には一番売れた雑誌となり、「サロン系」という言葉が生まれる。
'01
エディ・スリマンがディレクターに就任し|Dior HOMME|が誕生。
2001-02秋冬のパリコレからスタートし、いきなり世界に影響を与える。
これ以降、スキニーパンツなどの細身アイテムが定着する。
'08
1995年に|GAP|、1998年に|ZARA|が日本に進出。
2008年に|H&M|が進出し、前のブランドよりも安い価格帯で展開。
翌2009年には更に安い価格帯の|Forever21|も原宿に出店。
「ファストファッション」が生まれ、定番化する。
'10
2000年|RUDE GALLERY|、2003年|WACKO MARIA|が誕生。
脈々と「荒々しい」ファッションが育っていき、
2010年の雑誌「RUDO」創刊以降、「ルード系」として一般化する。
'17
2000年に訴訟問題で対立した両ブランドが和解しコラボ。
|Louis Vuitton|デザイナーであるキム・ジョーンズが手助け。
両ブランドお互いの顧客に響き、顧客の拡大に成功する。