超ネットワーク社会と言われている昨今、検索窓に数文字打てば無限の情報が引き出せる。

それ以前は、人々はどうやって情報を引き出し、アップデートしていたか?

よくよく考えると、今と全く変わらないのだ。

と言うのは、メディアが変わってはいるものの、誰かが語って、書いて、撮ったものが情報化されて、私たちに届く。

その情報を自分たちの身につけるものに落とし込んでいく。こうやって流行(ファッション)が出来上がる。

その最前線を、30年以上走っている藤原ヒロシという人物をご存知だろうか?

彼と時代を同じくした人達であれば、どういった経歴であるかも含め理解している事だと思う。

ただ、若い読者であれば、「名前は知っているものの…」や「知らないなー」という状態だと思う。

インターネット隆盛前夜から、世界の最先端を編集して、お届けしていた人物「藤原ヒロシ」を全三編で紹介する。
今回は、最終話となる3編目として裏原系発祥から現在までの活動を解説します。

INDEX

PUNK IS ATTITUDE ! NOT STYLE !
パンクはスタイルじゃない、
アティチュードだ

これはパンクバンド「THE CLASH」のジョー・ストラマーが常々に口にしていた言葉。

THE CLASH 【バンド】
1976年結成のパンクバンドでセックス・ピストルズと並んで、最も成功したと言われる。
1stアルバムは典型的なパンクだったが、徐々にレゲエやダブ、ゴスペル、フォーク、R&B、ロカビリー、ジャズ、スカ、カリプソといった様々な音楽的要素を取り入れ、3rdアルバム『ロンドン・コーリング』では独自の個性を確立、シーンに大きな影響を与えた。

パンクには「不良、青二才」という意味がある。パンクロックはニューヨークで産声を上げるが、今の皆が知るパンクはロンドンでマルコム・マクラーレンによって作られる。

マルコム・マクラーレン【マネージャー、デザイナー】
1946年生まれ、美大生時代にヴィヴィアン・ウェストウッドと出会い、子どもを授かる。
1971年にヴィヴィアンと共に「Let It Rock」を開店。1974年「SEX」、1976年に「Seditionaries」」、1979年に「Worlds End」に店名を変更。
1974年のニューヨークで「パンク」に出会い、1975年にはお店「SEX」の従業員や常連客をパンクバンド「セックスピストルズ」に仕立て上げ、本人はマネージャーとなる。
ヒロシと出会った翌1983年に動画の「Buffalos Gals」を収録したアルバム「Duck Rock」をリリース。
その当時からHIP HOPに目を付けており、アフリカ系移民の文化を白人が取り上げたことにより、「HIPHOPの開拓者」とも呼ばれている。

ヴィヴィアン・ウェストウッドと共にブティックを経営していたマルコムは、音楽性だけでなくファッションも攻撃的に仕立て上げた「セックス・ピストルズ」をプロデュースする。

セックス・ピストルズ【バンド】
1975年結成したロンドンパンクの象徴バンド。
1976年に「アナーキー・イン・ザ・UK」をリリースするが、テレビ出演時に放送禁止用語を連発し、契約解除されるが世間からの注目が大きくなる。
しかし、1978年のアメリカツアー時に解散。その短い輝きから伝説のバンドと評される。

この伝説的なバンドが今のパンクの礎を築くが、あくまでも青二才の素人を作り上げたものだ。
つまり、パンクは「D.I.Y.精神」から出来上がったもの。

話を戻して、ジョー・ストラマーが言いたかったことは
ファッションなどを真似することがパンクでは無く、自らが感じているコトを自らが作り上げて表現するコト。その姿勢がパンクだ。
と言うことでは無いだろうか?

この言葉にピッタリくる人が、少年時代からパンクを愛していた藤原ヒロシだ。
音楽だと、パンクからHIPHOPからハウスなどへ変遷している。
さらにファッション分野でも、色んなカルチャーをミックスして、その時代いや彼の中の体内時計に合った形で作り上げていく。

まさに、スタイルではなくアティチュードだ。
そして、ヒロシが生み出し世界に大きな影響を与えた「裏原系」の時代に入っていく。

セックス・ピストルズ【バンド】
1975年結成したロンドンパンクの象徴バンド。
1976年に「アナーキー・イン・ザ・UK」をリリースするが、テレビ出演時に放送禁止用語を連発し、契約解除されるが世間からの注目が大きくなる。
しかし、1978年のアメリカツアー時に解散。その短い輝きから伝説のバンドと評される。

元祖裏原系ブランド
GOOD ENOUGHの誕生

藤原ヒロシが小泉今日子のアルバム「No.17」をプロデュースした1990年。
SKATE THINGから「Tシャツを作りたい」と提案を受け、ヒロシは即答で「やろう」と応える。

SKATE THING【デザイナー、イラストレーター】
本名中村晋一郎。グラフィックデザイナー。
1990年に本人の発案で藤原ヒロシと|GOOD ENOUGH|を立ち上げる。その後、NIGO®︎と|A BATHING APE|を始める。2011年には、|C.E|をスタート。

|GOOD ENOUGH|とヒロシが命名し、福岡でショップ「THIEVES」を運営していた岩井徹に連絡しスタートする。

すでに藤原ヒロシは世間的には有名人。声を掛ければ大手のファッションブランドの手助けを貰えたはずだが、それをしなかった。そこにパンク由来のD.I.Y.精神を感じる。

さらに、|GOOD ENOUGH|は誰がやっているか?を分からなくした。
それは、洋服そのものを見て欲しいと言うヒロシの願いからだ。

これを機に藤原ヒロシは、先頭から裏路地に入っていく。

藤原ヒロシ2号
裏原系の誕生と隆盛

藤原ヒロシ2号が生まれる。

この2人が絡み合いとなり「裏原系」が世界的な一大ブームを生み出す。

この2号は、群馬で育った長尾智明という少年。
HIPHOPが好きで藤原ヒロシの大ファン、仲間に入りたくて上京し、高橋盾の紹介で藤原ヒロシ一派に仲間入りする。
長尾は藤原ヒロシと顔が似ていたこともあり、「藤原ヒロシ2号」と呼ばれ、「NIGO(最初は「2GO」と名乗っていた)」と名乗るようになる。

長尾智明【デザイナー】
1970年生まれ。群馬県前橋市生まれで、妻は女優牧瀬里穂。NIGO@と名乗り、|A BATHING APE|、|HUMAN MADE|創業者。
ラッパーのファレル・ウィリアムスと親交が深く、2005年にはアパレルブランド|BILLIONAIRE BOYS CLUB®|と|ICE CREAM™|を共同で立ち上げる。

高橋盾【デザイナー】
1969年生まれ。群馬県桐生市生まれで、妻はモデルの森下璃子。|UNDER COVER|創業者。
2002年からパリコレに参加し、それ以降毎年参加している。また、|NIKE|とのコラボレーションブランド|GYAKUSOU|も行っている。

藤原ヒロシらがやっていた連載を引き継ぐ形で、1991年から「宝島」で「LAST ORGY 2」をスタートする。

高橋盾とショップ「NOWHERE」を裏原にオープンする。このショップのスタートが「裏原系」の始まりと言われる事も多い。

NOWHERE【セレクトショップ】
1993年開店。
音楽カルチャー雑誌「宝島」の中の連載「LAST ORGY2」で紹介したアイテムや|UNDER COVER|の商品を販売していた。
店名は、「NO WHERE」「NOW HERE」という二つを掛け合わせた言葉で、「どこにも無いものがここにはある」というコンセプト。

しばらくしてNIGO@とSKATE THINGが|A BATHING APE|をスタートする。
キャッチーな見た目もあり、芸能人が多く着用する事で、このAPEが「裏原系ブランド」で一番の人気が出る。

裏原系の販売手法としては、藤原ヒロシが始めた「なかなか手に入らない」というアンダーグラウンド感を重視していた。

事実、ヒロシは絶頂期前の1995年に|GOOD ENOUGH|を半年間の休業し、販売店も減らす決断をする。

しかし、藤原2号は拡大路線に走る。

 NIGO®︎は1998年からどんどん全国に|A BATHING APE|の販売店BUSY WORK SHOPをオープンさせる。
さらには、ペプシ缶をベイプカモで包み込んで、多くの人たちが|A BATHING APE|を認知する。

「拡大させないこと」
藤原ヒロシ流ブランド運営術

1993年に高橋盾と|A.F.F.A.|というブランドを始める。
当時としてはかなり珍しいデザイナー2人によるコラボレーションブランド。
MA-1にパンク的要素を入れてデザインされ「NOWHERE」にて限定30着で販売されるやいなや売り切れる。
しかし、少量しか生産せずブランドが軌道に乗り始めた2005年には休止した。
(2011年に|ASSEMBLE|として再開)

1995年に藤原ヒロシは|GOOD ENOUGH|のシェイプアップを決める。
まずは、半年間のブランド休止を決める。
そして、取扱店舗が40店舗になっていたが、友達がやっている10店舗に絞る。
その時、ヒロシは「いっぺん辞めなきゃ、このまま下がってしまう可能性がある」と語り、TORU-EYEも振り返って「あのままのペースでいっていたら、ダメになっていた」と証言するように、正確な体内時計が備わっていると証明された。

TORU EYE【GOOD ENOUGH共同創業者】
1975年生まれ。本名は岩井徹。「TORU EYE」は藤原ヒロシが名付けた。
1988年にセレクトショップ「THIEVES」を小倉にオープンさせる。1990年に|GOOD ENOUGH|を藤原ヒロシ、

リミックスをファッションにも導入
PORTERとのコラボ誕生

時はすこしさかのぼって1983年に|PORTER|は、MA-1をモチーフにした定番シリーズ「タンカー」を発売。
佐藤チカがそのバッグを持っており、それを見た藤原ヒロシはその素材感と風合いを気に入り、すぐに購入する。

佐藤チカ【スタイリスト、シンガー】
スタリリストとして活動していた中で、中西俊夫に誘われテクノバンド「プラスチックス」のヴォーカルとして活動。プラスチックスが解散後も「MELON」で活動するが、アパレルブランド|CHIKA SATO|を展開するなどマルチに活躍した。

藤原ヒロシは、Macパワーブックを入れるカバンが欲しく、共通の知り合いを経て自分専用のタンカーを作ってもらう。

当時、|PORTER|は知る人ぞ知る「職人」カバンブランドであり、タンカーは月産50個程度しか作られていなかった。
その為、ヒロシのワガママはしっかり表現され満足できるものに出来上がった。

これを世の中の人にも知って欲しいと思ったヒロシは、ブランドをリミックスする。
|PORTER||GOOD ENOUGH|との企画を提案すると、すぐに決定し1994年に発売。
ブランド同士のコラボレーションの走りとされている。

最初の商品はタンカーシリーズのレコードバッグ、マジソンバッグ、ボンサック、そして3WAYのブリーフ・ケース。

その中でもブリーフ・ケースは2層になっており、さらにそれまでのジッパーはシングルだったが、ダブルに変更するなど、ヒロシの細やかなアレンジが商品開発に活かされている。

これを機に、|PORTER|タンカーは人気となり、偽物が横行するほどの社会現象となる。

「クールハンター」
全ての人から認められる審美眼

藤原ヒロシの動きは常人には理解できないことを当たり前のように行う。

1995年は特に驚く行動を行う。
先ほど触れたように、人気のあった|GOOD ENOUGH|を半年間休止し、販路を減らした。
これだけでも多くの人を驚かさせたが、さらに雑誌『メンズノンノ』で連載「a little knowledge」を始める。

メンズノンノ 【雑誌】
1986年に女性ファッション雑誌「non-no」の男性版として創刊。
掲載ブランドはデザイナーズ系が中心となっており、モード界の最新トレンドなどの記事が見られる。
阿部寛が創刊当時からモデルを務めており、創刊から43号まで連続で表紙を飾り、「ギネスブック」にも掲載されている。

今まで音楽カルチャー雑誌などでの連載は持っていたが、藤原ヒロシのことを知らない読者が多い雑誌に連載を持つことになる。

しかし、この「a little knowledge」は伝説的な連載として多くの人に影響を与える。
今までは音楽やストリートファッションが好きな人だけに注目されていたが、一般的に「クールハンター」として認知された。

a little knowledge 【連載】
1995年10月号『メンズノンノ』から始まった藤原ヒロシの好きなものを紹介する連載。
|RED WING|や|GRAVIS|などを紹介し、大ヒットを記録するなどオシャレ好きの注目を集めた。

さらに、1997年に「レディメイド」というショップをオープンする。
READY MADEは「既製品」という意味だが、マルセル・デュシャンの同名の作品から引用。

マルセル・デュシャン 【美術家】
1887年にフランス生まれ。
20世紀美術に決定的な影響を残した。デパートの商品を選んで美術展に出品することも、パレット上の絵の具を選んでキャンバスに置くことも同じだと、これまでの美術の概念を破壊する理論を発表し、実践する。レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」の模写にヒゲをつけたものを展示したりと、ポップアートの思想に影響を与えた。

「レディメイド」は最初は1階がギャラリーで、地下がショップだった。ショップでは、のスペシャルエディションや、|NIKE|の特注もの、|A BATHING APE||NEIGHBORHOOD|などの人気ブランドが「レディメイド」のためにデザインしたモデルを販売していた。

1998年には、1階のギャラリーを|PORTER|専門の売り場を作る予定だったが、吉田克幸との相談によって「レディメイド」のために|HEAD PORTER|が生まれる。

吉田克幸【Porter classic会長、デザイナー】
1947年生まれ。|PORTER|創業者吉田吉蔵の末っ子。
海外遊学の後、1981年ニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに日本人で初めて選出。2007年息子の吉田玲雄と|Porter classic|を設立。

「藤原ヒロシ」
年表

全てを壊し創造する男
トップを走るまでの軌跡

'1964

藤原ヒロシ
誕生

1964年三重県伊勢市に誕生。
父は競輪選手の藤原武。3人兄弟の末っ子として育つ。

'1982

ロンドン
遊学

ファッションコンテストの副賞でロンドンへ。
マルコム・マクラーレンやヴィヴィアン・ウエストウッド等と交流。
18歳で世界のトップと交流した事がその後の活動につながる。

'1983

日本初
リミックスDJ

マルコム・マクラーレンの紹介で、ニューヨークのDJ現場を体感。
当時のDJは「選曲・曲順を工夫して音楽を流す」という認識だったが、
色々な曲やテクニック(スクラッチ等)を駆使して、曲をアレンジした。

'1985

「タイニーパンクス」
結成

高木完とヒップホップグループ「タイニーパンクス」を結成。
その後、いとうせいこうと「建設的」でデビュー。
いとうとは、世界初の日本語ラップを行なったとも言われる。

'1988

「メジャー・フォース」
発足

日本初のクラブ・ミュージックレーベル「メジャー・フォース」を発足。
中西俊夫、工藤昌之(K.U.D.O)、屋敷豪太(GOTA)の3人と、
タイニーパンクスの2人の計5人のプロデューサーからなるレーベル。

'1990

小泉今日子「No.17」
プロデュース

小泉今日子17枚目のアルバム「No.17(じゅうななばん)」プロデュース。
写真集にスタイリングで参加した事がきっかけで交流スタート。

|GOOD ENOUGH|
スタート

創立者は、藤原ヒロシ、スケートシング、岩井徹、水継の4人。
当時、服本来を見て欲しい事から「藤原ヒロシ」の名前は伏せていた。

'1994

|PORTER|
コラボバッグ発売

日本で初めてのブランド同士のコラボ商品と言われる。
タンカーを使ってバッグを作り、数量限定で販売。
これを機に|PORTER ポーター|は全国区となり、
|HEAD PORTER ヘッドポーター|に繋がっていく。

'1997

「READY MADE」
開店

店内の1階がギャラリーで、地下がショップという作りだった。
セレクトする商品は、|NIKE|の限定商品から、
|GOOD ENOUGH|や|FINNES |等のオリジナルブランド、
|A BATHING APE ||UNDER COVER|の別注品等。
1998年には|HEAD PORTER|を1階で販売開始。
1999年12月人気絶頂の中閉店。

'1998

エリック・クラプトン
ツアーコーチジャケット作成

ショップ「Gimme5」マイケル・コッペルマンを通じて知り合う。
クラプトンは知り合う前から|GOOD ENOUGH|を購入してたとか。
1998年にアメリカンツアー・スタッフ用コーチジャケットを作成。
ジャケットには|GOOD ENOUGH|のタグが付いている。
2001年にもワールド・ツアー用フィールドジャケットを作成。
ジャケットには|ELECTRIC COTTAGE|のタグが付いている。

'2002

「HTM」
スタート

|NIKE|が、HTMというラインを発表。
HTMは、過去の名作をカスタマイズしてアップデートするライン。
藤原ヒロシの熱望により、名作ダンクが復刻し、大ヒットする。

'2005

「honeyee.com」
スタート

|SOPH.|の清永浩文、|visvim|の中村ヒロキと発起人になり、
Webマガジン「honeyee.com」を開設。
宝島社「smart」を手掛けた鈴木哲也を編集長としてスタート。
ファッションやカルチャーを中心としたライフスタイルを提案し、
著名人のブログを100日間のリレー形式で掲載し注目を集め、
当時のブログ系メディアの成功例とも呼ばれていた。

'2006

「カプチーノ」
リリース

4曲入りマキシ・シングル「カプチーノ」をリリース。タイトル曲は、
ヴォーカル・作詞を松任谷由実、作曲をヒロシとエリック・クラプトン。

'2007

|Uniform Experiment|
スタート

|SOPH.|の清永浩文とスーツを着る人向けにデザインする。

'2016

|Louis Vuitton|
コラボレーション

|Louis Vuitton|ディレクターのキム・ジョーンズと親交があり、
藤原ヒロシがやっていた|Flagment Design|とのコラボ商品を、
伊勢丹新宿店メンズ館ポップアップストアで発売。

'2018

「THE CONVENI」
出店

銀座ソニーパーク地下1階でコンビニをコンセプトにしたショップ。
実際に使用されている什器を用いて”リアルなコンビニ”を演出しながら、
藤原ならではのユーモアを取り入れたグッズを多数展開。

ここまでが、「裏原宿系ファッション」の誕生前夜。

次回はファッション後編|裏原系誕生から現在まで、詳しく説明する。

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