|A BATHING APE ア ベイシングエイプ|とは、NIGO®️が創業した日本裏原発祥のストリートブランド。

日本発祥ながら海外でもトップ人気のストリートブランド。
なぜ、海外でも受け入れられたか?

深い歴史から、ロゴ・人気アイテムやブランドラインまで徹底解説をします。

INDEX

|A BATHING APE|
見極めるコツ

ファッションの中心地「原宿」の裏
そこで生まれた猿の価値を見極める

1. BRAND

|A BATHING APE|は、1993年のスタートから多種多様のブランドを展開している。
ブランドラインによって価格帯が違う事はもちろん、人気度の差もあるため把握が必要。

↓の画像をクリックすれば、説明している記事に移動します。

2. ITEM

|A BATHING APE|は定期的にアパレル業界を揺るがすほどの大ヒットを何度かしている。
今も復刻として販売している商品が多く、そのDNAは今も引き継がれている。
また、オリジナルはほぼ出回っていない為、高い価値があるので見極め出来ると良い。

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|A BATHING APE|
歴史

日本発祥の海外でもトップストリートブランド
2号から世界1号になる歴史

創業者・長尾智明(通称:NIGO®︎)は、現在|A BATHING APE|の経営やデザインから離れている。

祖が離れたブランドは凋落していくかと思いきや、世界でトップランクの人気を誇るストリートブランドとし君臨し続けている。

世界で受け入れられたブランド|A BATHING APE|がどうして生まれたのか?歴史を紐解きます。

NIGO®︎の誕生と「1号」に受けた影響

長尾智明は、群馬県前橋市で生まれでHIPHOPに陶酔する高校生だった。

その当時、「藤原ヒロシ」が率いるタイニーパンクスがHIPHOPシーンを引っ張っていた。
長尾はそのタイニーパンクスに憧れ、彼らがツアーで群馬にくると終演後も残り、藤原のサインを手に入れるなど、憧れていた。

憧れの存在であったが、いずれ「藤原たちのグループの仲間になりたい」と考えるようになる。

当時、HIPHOPはもちろんファッションの伝道師としても若者から受け入れられていた。

タイニーパンクスが宝島誌にて「LAST ORGY」連載していた事から、文化服装学院の雑誌編集者コースに通う為に東京に居を移す。

長尾は文化服装学院で、|UNDER COVER|をスタートさせる1歳年上の高橋盾(通称:ジョニオ)と運命の出会いを果たす。

ジョニオは「ロンドンナイト」というイベントで憧れの藤原に長尾を紹介する。

その姿を見た、ア・ストア・ロボットの店長だった高橋一郎が顔が似ている所から「藤原ヒロシ2号」と呼ばれ、「NIGO(最初は「2GO」と名乗っていた)」と名乗るようになる。

ジョニオ(左)とNIGO®︎(右)のツーショット。

 
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元祖ストリートブランド|STUSSY|の創業者ショーン・ステューシー、藤原ヒロシとのスリーショット。

「NO WHERE」「NOW HERE」
「どこにも無いものがここにはある」

NIGO®︎は、文化服装学院を卒業後に中山秀征や藤井フミヤのスタイリストをしつつ、雑誌に寄稿するなど仕事をしていた。

そんな中、|MILK|の大川ひとみが雑誌「宝島」の編集長に連絡し、ジョニオと「az」という連載を開始。

その連載に藤原ヒロシがゲストで参加し、それ以降「LAST ORGY 2」として連載をすることに。

その連載をきっかけに「NOWHERE」というセレクトショップを裏原にオープンする。
このショップのスタートが「裏原系」の始まりと言われる事も多い。

「ぬるま湯に浸かった猿」の誕生

「NOWHERE」がオープン時、ジョニオはすでに|UNDER COVER|の商品を展開していた。

一方、NIGO®︎は買い付けてきたアイテムを展開していたが、近隣に似たような店舗が出てきた事もあり、差別化を図るべくブランドの開始を検討する。

藤原を通して知り合ったスケシンのアイデアから|A BATHING APE|をスタートする。

名前の由来は、根本敬著「因果鉄道の旅」で、イイ顔したオヤジの喩えとして描写した「ぬるま湯につかった猿」の挿絵を英訳した「A Bathing Ape in Luke WarmWater」から採用される。

宝島誌で連載していた「LAST ORGY 2」の記事。背景にはセレクトショップ「NOWHERE」。

根本敬著「因果鉄道の旅」。初版が1993年5月の為、アイデアを形にする早さには驚かされる。

音楽を使ったマーケティング手法

NIGO®︎は他のブランドとの差別化を図るべく、音楽を利用する。
DJをやっている事もあり、アーティストに自身のブランドを着用してもらい宣伝していく方法を採用した。

まず、藤原を通じて仲良くなったHIPHOPグループ「スチャダラパー」に衣装を提供する。
スチャダラパーが小沢健二とリリースした「今夜はブギー・バック」が大ヒットし、HIPHOPが人気になり「DA.YO.NE」(EAST END×YURI)がミリオンヒットを記録。
そのYURIこと市井由理にTシャツなどを着用させていた。
ちなみに、NIGO®︎は1999年にこの市井と結婚するが、2002年に離婚。

その後、大人気だったコーネリアス・小山田圭吾のスタイリングを手がけ、ツアーTシャツをプロデュース。

このように音楽業界につながることでそのファン達を引き込むことでかなり人気となる。
また、この宣伝方法は|STUSSY|が元祖と言われており、BAPEもストリートブランドの系譜を辿っていた。

猿による大拡張戦略

着々と人気を高めていたが、あくまでも東京や一部の感度の高い人しか知らないブランドであった。

しかし、国民的スターであるSMAPの木村拓哉がオロナミンCのCMで着用した事により、一気に日本中の人が|A BATHING APE|を知ることとなる。

 

この時に着用した「スノーボードジャケット」は大人気となり、一気にプレミア化する。

その後、1998年にショップ「BUSY WORK SHOP」を大阪、名古屋、仙台、さらに青森にもオープン。翌年には、群馬、松山、福岡、京都、広島にも拡大。

アジア圏でも「ショップを出してくれ」との要望を受けて、1999年にショップを香港にオープンさせる。

さらには、2001年に飲料メーカー「PEPSI」とコラボレーションを展開。コーラの缶をベイプカモで包み、4年前まで原宿のショップで並ばないと買えない状況だったが、自動販売機でも|BAPE|のプロダクトを手に入れる事ができるようになった。

翌2002年にはロンドン、2004年にはニューヨークへと、大拡張戦略を展開する。

HIPHOPのセレブを使った国際戦略

世界に拡張していくが、言ってもまだまだ世界的には認知が無い状況だった。

そんな2003年に、ヒップホップユニット「The Neptunes」のファレル・ウィリアムスが日本でスタジオを探しているという噂を聞きつけ、「自分のスタジオを使わないか」と申し出る。それを機に親友となり、二人で精力的に活動をするようになる。
アパレルブランド|BILLIONAIRE BOYS CLUB|とシューズブランド|ice cream|を立ち上げ、TERIYAKI BOYZというユニットに NIGO®︎はDJ、ファレルはプロデューサーとして参加。

さらに、ファレルがパイプ役となり多くの世界のHIPHOPアーティストと繋がった。
その中には後に世界のファッションリーダーとなるカニエ・ウェストも加わり、TERIYAKI BOYZで曲をリリース。

その姿を見たラップ好きはこの猿に夢中になり、アメリカ1注目されるブランドとなる。本場のMTVに出てくるラッパーのほとんどが|A BATHING APE|を着用するという現象にまでに発展する。

帝国の滅亡と復興

2000年代前半に入ると、日本では一般化しすぎて、洋服好きからは敬遠されるようになる。

それでも、アメリカでHIPHOPアーティストに人気になり再評価されると思いきや、意外にも引き続き離れていってしまう。

そんな中でも、拡張路線を止められずコストが拡大。

ついに、2009年に株式会社ノーウェアを辞任。その後も負債が拡大した為、2011年に香港のアパレル会社I.Tに買収される。

NIGO®︎は2年後の2013年にクリエイティブディレクターを退任し、完全に|A BATHING APE|との関わりが無くなった。

その後、裏原ブームから20年経った事、|Supreme|の人気、ラグストブームなどがあり、再評価されて人気が回復。
2018年には以前のピーク売上を超えるほどまでに。

藤原ヒロシに憧れた「2号」少年が、HIPHOPを使って世界征服を試み、香港のアパレル企業I.Tがその夢を引き継いだ。
ひとまず成功しているが、世界中のアパレル業が変化しているこの状況をどう打破するか?
今後の動きにも大注目のブランドだ。

|A BATHING APE|
年表

ぬるま湯に浸かった猿が
世界のトップになるまでの軌跡

'1991

「LAST ORGY 2」
スタート

|UNDERCOVER|の創業者高橋盾と雑誌宝島で連載を開始。
当初、「az」という名で連載を開始していたが、
藤原ヒロシから伝説的な連載「LAST ORGY」の名を引き継いだ。

'1993

「NOWHERE」
オープン

NO WHERE(どこにもないモノ)、NOW HERE(ココにある)が由来。
開店当初は、高橋盾がやっていた|UNDERCOVER|の販売と、
雑誌の連載に関連して買い付けた商品を取り扱っていた。

|A BATHING APE|
スタート

「NOWHERE」と同じような形態を取る店が周辺に出現。
差別化を図るべく、Tシャツのプリントデザインを中心に製作を開始。

'1997

キムタク着用を機に
大ヒット

木村拓哉が「ラブジェネレーション」でC.P.O.シャツを着用。
ドラマのヒットと共に大流行し、それを機にブランドも一般化。
柄と作品名から「ラブジェネチェック」と呼ばれ、定番柄に。

'1999

香港
初海外進出

アジア圏から「裏原系」ストリートスタイルが注目され始めており、
ラブコールに応える形で初海外進出。
2002年にはロンドン、2004年にはNYにもストアがオープン。

'2001

|PEPSI|
コラボ

2001年から飲料メーカーPEPSIとのコラボをスタート。
それまで若者だけのものだったが、老若男女に認知されるようになる。

'2002

|BAPE STA !|
スタート

2002年にスニーカーレーベルとして|BAPE STA!|をスタート。
|NIKE |の傑作「AIR FORCE1 」を元ネタに誕生した「
BAPE STA™ ベイプスタ」は国内外で評判になった。

'2007

24時間チャリT
デザイン

ボディは|BAPE|の物とは違う(久米繊維工業㈱製)が使われる。
税込み1400円と格安で販売され、話題を呼ぶ。

'2009

NIGO®︎
社長を辞任

NIGO®︎が株式会社ノーウェアの社長を2009年3月末をもって辞任し、
4月1日付けで新会社、株式会社NIGOLD(ニゴールド)を設立。
後任として元株式会社ワールドの常務執行役員日比野正雄氏が就任。

'2010

|HUMAN MADE|
デザイン

ヴィンテージコレクターのNIGO®が手掛けるブランド。
当初は|BEAMS|限定で展開したが、その後直営店を展開する。

'2011

香港の企業
買収される

43億円の負債を抱えていた為、買収額はわずか2億3000万円。
売上の8割を占めていたメンズ売上が2006年時に約70億円だったものが、
2009年には約50億円にまで落ち込んだことが原因。

'2012

|AAPE BY A BATHING APE|
スタート

ブランドを象徴するアイコン“ムーンフェイス”ロゴや、
オリジナルカモフラ“AAPE CAMO”を基調としたプロダクトを展開。

|A BATHING APE|
アイテム

「地球を救う」理念がしっかり浸透した
機能的で個性的なアイテムたち

TOPS

Tシャツ ¥7,700-¥13,200

人 気 
3.5/5

コラボモデルや総柄のプリントの商品は高くなる傾向あり。

シャツ ¥19,580-¥34,100

人 気 
2/5

アロハシャツなどの素材にこだわりがあるモデルや、加工が多いものは高くなる傾向。

スウェット ¥18,700-¥44,800

人 気 
4/5

|BAPE|特有のフルジップフーディなどは高く、人気も高い。

OUTER

ジャケット ¥30,800-¥55,800

人 気 
3/5

相対的にジャケットの人気は高いが、ストリートブランドらしくTシャツ・フーディーに比べると人気は劣る。

ダウン ¥39,380-

人 気 
3/5
木村拓哉が「HERO」で着用した「LEATHER CLASSIC DOWN JACKET」など伝説的なモデルもあり、30万円以上する商品も数点ある。

OTHER

ボトム ¥18,700-¥33,000

人 気 
2/5

ショーツも人気があり、あまり価格差が無い事が特徴。

シューズ ¥19,800-¥30,800

人 気 
2/5

一部コラボモデルは定価も高騰している。

|A BATHING APE|の代表的なアイテム

スノーボードジャケット | SNOWBOARD JKT

参考価格    ¥53,680-

人 気
4/5

1998年にリリースしたジャケット。カモフラ柄にエイプヘッドが潜む、後にブランドの象徴となる“ベイプカモ”柄のスノーボードウエア。
オロナミンCのCMで、木村拓哉が着用したことで人気が爆発。

C.P.O.ジャケット|C.P.O. JKT

参考価格    ¥38,280-

人 気
3.5/5

1997年にリリースしたジャケット。
ドラマ「ラブジェネレーション」で木村拓哉が着用した事で大人気となり、通称「ラブジェネチェック」と呼ばれる。そんな柄を採用し、肘部分にエイプヘッド型のパッチが当てられたネルシャツ。

レザークラシックダウン|
LEATHER CLASSIC DOWN

参考価格    ¥154,000-

人 気
4.5/5

2001年にリリースされ、ドラマ「HERO」で木村拓哉が着用したことにより大ヒット。
初期ロットは16着しか無いにも関わらず、多くの人が「レザークラシックダウンジャケット」を纏っていた。ほとんどの人が偽物か似た商品を購入していた事となる。
2020年末には20周年を記念して「20TH ANNIVERSARY LIMITED EDITION」を20着限定¥330,000で販売。

シャークフーディー|
SHARK FULL ZIP HOODIE

参考価格    ¥33,880-

人 気
3.5/5

2004年にリリースしたフルジップアップのパーカー。フード部分までジップアップすると現れるのは、戦闘機のノーズアートを模したシャークフェイス。

|A BATHING APE|
ブランドライン

「地球を救う」理念がしっかり浸透した
機能的で個性的なアイテムたち

bapesta!

BAPE STA!|ベイプスタ!

価 格
3/5
人 気
3/5

2000年にスタートしたスニーカーライン。|NIKE ナイキ|の名作AIR FORCE1を元ネタにした「BAPE STA™ 」でお馴染み。

Aape

Aape BY A BATHING APE®︎|
エーエイプ バイ ア ベイシング エイプ®

価 格
2.5/5
人 気
3/5

2012年にスタートしたヤングライン。10代 – 20代をターゲットにしており、比較的低価格なアイテムが特徴。
価格帯は|A BATHING APE|の70%前後が主体。

ursus

URSUS BAPE|アーサスベイプ

価 格
3.5/5
人 気
3.5/5

2009年にスタートした|WTAPS ダブルタップス|の西山徹がディレクションするライン。
アメカジをベースに、現代のフィルターを通したファッションを掲げた。
2013年にNIGO®︎がブランドデザイナーを正式退任した同時期に活動終了。
その後、西山とNIGO®︎のプロジェクトは|DOUBTFUL AS DOUBLE®︎|というブランドで新なスタートする。
その後、ブランド自体は再開する。

Mr.bathingape

Mr. BATHING APE®︎|
ミスターベイシングエイプ®

価 格
3.5/5
人 気
3/5

2010年にスタートしたスーツやネクタイなどを展開する大人の為のライン。
当初は「by UNITED ARROWS」がついていたが、現在は明記されていない。

HUMAN-MADE

HUMAN MADE®︎|ヒューマンメイド®

価 格
3.5/5
人 気
4/5

2010年秋冬より、ヴィンテージコレクターのNIGO®︎が「過去と未来の融合」をテーマにスタート。
ヴィンテージテイストなアイテムからインスパイアされた世界観がダイレクトに反映されたアメカジスタイル。
レプリカブランドとして人気の|WAREHOUSE|の技術協力のもと製作。
ファレル・ウィリアムスやNAOTO(EXILE/三代目 J soul brothers)といった著名人に愛用されていることで知られる。

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