そもそも新ブランド|NIKE |を立ち上げるきっかけになったのはオニツカによる圧力だったが、日商岩井という日系企業(現・双日株式会社)が日本の靴工場を紹介してくれた事から本格的に始動する。
その後、オニツカと裁判になるが、オニツカ側の証言に問題があり、商標部分での勝訴。「コルテッツ」は|NIKE|が使えるようになり、損害賠償も40万ドル(日本円で約1億2,000万円)受け取る事に。
勝訴したが、その後も急成長する|NIKE |は、成長する企業にはありがちなキャッシュフローの問題で倒産の危機を迎える。
その時も、日商岩井が借金を肩代わりしてくれ、なんとか存続する事となる。
これ以降の日商岩井との付き合いは、1977年から日本での販売を開始し、1981年に合弁会社としてナイキジャパンを設立するなど、長い付き合いとなる。