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昨今、多くの人が履いているスニーカー。
当たり前だがそのスニーカーにも深い歴史がある。

まず運動靴としてアスリートが履き始め、スポーツの現場で機能的に進化を重ねた。
その機能美がファッションとして昇華し、ストリートの若者に受け入れられた。
今では売っている靴の70%以上がスニーカーだというデータも出ている。
1900年代の初めには誰も履いておらず、2000年代の初めも35%前後だったというデータもある。

特に日本人はスニーカーを愛し、熱狂した。
その熱狂具合は、スニーカーの中心地がTOKYOになった程。

なぜ日本は、いや世界はここまでスニーカーに熱狂したのか…。
そして、これからも熱狂するのか?
スニーカーの誕生から現在までを振り返る。

INDEX

スニーカーの歴史が100年以上続く中、多くのブランドが生まれ、多くのブランドがなくなった。

その中で、スニーカー黎明期から現在まで、影響力を持ち続けるふたつのブランドがある。それが、|NEW BALANCE ニューバランス||CONVERSE  コンバース|。このふたつのブランドは、どちらも同じ時代に、同じ場所マサチューセッツ州で生まれ、独自のポジションを現在まで確保し続ける。

また、どちらも「はじまりの理由」に違いがあり、実に面白い。
ひとつは、医療用具から始まり。もうひとつは、その地域の人たちの役に立つ為に生まれ、そして始まったばかりのスポーツ「バスケットボール」に賭けて、大きな発展に寄与する。

今回は、そのふたつのブランドの誕生を紐解きます。

|NEW BALANCE|
矯正靴メーカーとしてのスタート。

イギリス(アイルランド)からの移民であるウィリアム・J・ライリーは、3つのかぎ爪でバランス良く立つ庭のニワトリを見て「このバランスを人間にも適用できないか?」と考えるようになる。

ライリーは、そのアイデアを靴のインソールに落とし込む。

三角形をした3点のサポート設計により、優れたバランスをもたらす、「アーチサポートインソール」として製品化する。

その後、これらの技術を基に、扁平足やハイアーチなどの足の悩みを解決する矯正靴の製造を開始し、会社を設立する。

その名も「ニューバランス・アーチ」。アーチサポートをする会社としてのスタートだった。

そして、ニワトリからヒントを得て、人間に「新しい感覚(NEW BALANCE)」を届ける為に、靴作りをスタートした。

ライリーは、1927年にアーサー・ホールという優秀な委託販売者を雇い、ビジネスは大きく発展する。

1938年には、ランニングシューズのオーダーメイドを製作する事となる。

|CONVERSE|
ゴムの父の意志を継いでスタート。

1892年、Goodyear’s Metallic Rubber Shoe Companyを含む9つの小さなゴム製造会社が統合されてU.S.Rubberが設立された。

Goodyear’s Metallic Rubber Shoe Companyは、バルカナイズ製法の父であるチャールズ・グッドイヤーが作った会社である。

このチャールズ・グッドイヤー については、別記事を参考にして欲しい。

その会社で会計係をやっていたジョージ・ルイス。そのルイスが、U.S.Rubberから独立し、1898年にビーコン・フォールズ・シュー・カンパニーを息子のトレイシーと立ち上げる。

主に、ラバーブーツやラバーシューズを製造し、多くの労働者を受け入れ、ビーコンフォールズの人口を増やすほどの影響力があるほどでした。

その会社で、マーキス・M・コンバースがマネージャーとして働いていた。
名前を見れば分かる通り、彼は後に|CONVERSE コンバース|を立ち上げる。

マーキスは、ビーコン・フォールズ・シュー・カンパニーを退社し、マサチューセッツ州でコンバース・ラバー・シュー・カンパニーを設立。

東海岸の北部に位置し、降雪が多く湿度が高いマサチューセッツ州の地域性に着目し、雨や雪の中でも作業できるラバーシューズの製造を開始。

間接的にではあるものの、チャールズ・グッドイヤー の想いを継いで、ゴムを通じて人々を豊かにしていた。

|CONVERSE|のラバーシューズは、ビーコン・フォールズでの経験もあってか、圧倒的な支持を受けて地元の有力企業へと成長した。

「スニーカー」の誕生。

1918年、|CONVERSE|と深い関係のブランド|keds ケッズ|がスタートする。 

当時最大規模のゴム会社U.S.Rubberが、それまでに約30合ったブランドを統合させ展開させたブランド。

この|keds|のプロモーションが、「スニーカー」誕生の瞬間だと言われている。

もちろん、スニーカー自体は前に説明した通り、1895年と言われている。

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では、なぜ「スニーカー」誕生の瞬間かと言うと、「スニーカー」という名称が、この時のプロモーションで誕生したのだ。

|keds|は、今までスポーツシューズとしてでは無く、別の切り口で販売促進をする。

ゴム底の特性を生かして「静かに忍びよる(sneaker)」という言葉を使う。

それが「スニーカー」という名称の誕生秘話らしいが、1887年に「スニーカー」という言葉は既に使われていて、|keds|が「スニーカーという言葉を作った」と語っているだけだという話もある。

|keds|は「スニーカー」という名称を生み出していないかもしれないが、「スニーカー」を広めたのは間違いない。

当時のスニーカーは5-6ドルだった。先ほど紹介した|NEW BALANCE|も敏腕営業マン・アーサーが5ドルで販売していた。

しかし、|keds|のCHAMPIONはわずか約1ドルで販売し、先ほども触れたコピー

The first shoe with a soft rubber sole, so comfortable & quiet you could “sneak” up on your boyfriend.

柔らかいラバーソールを備えた最初の靴。ボーイフレンドに「忍び寄る」ことができるほど快適で静か

とあるように、メンズだけでなくウィメンズの靴文化まで変化させたという。

|keds|は、スニーカーを広めて、アメリカのライフスタイル全体を変えるほど影響力を発揮した。

不朽の名作「ALL STAR」誕生。

|CONVERSE|は冬季のアイテムであるラバーシューズを主力としていた為、通年で販売が期待できる商品を探していた。

そこで、目を付けたのが「バスケットボール」だ。バスケットボールは、1891年にジェームズ・ネイスミスによって誕生した。それについては、別記事を是非確認して欲しい。

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雪の日に使うラバーシューズを販売していた|CONVERSE|が、1年中販売できるものをと探して、屋内でするスポーツであるバスケットボールシューズに目をつけた。

室内で行い、俊敏な動きを求められるバスケットボール 、「滑らない靴」を作ろうと試行錯誤する。

その結果、「NON-SKID」という、その名の通り「滑らない靴」を開発する。その靴を改良させて、1917年に今でも活躍するALL STARが誕生する。

このALL STARに心酔した男が一人。プロバスケットボール プレイヤーのチャック・テイラーだ。

チャック・テイラー【バスケット選手】
1901年にアメリカ・インディアナ州で生まれ、バスケットボールのセミプロ選手としてプレー。その後、|CONVERSE|と契約し、伝説的な営業マンとして「ALL STAR」を世界一売れたスニーカーにまで育てた。

チャックは、1921年にアドバイザー兼セールスマンとして契約。
「バスケットボールシューズは放っておいても売れるシューズでは無い」と感じていたチャックに、母親がある時「シューズを買うのは誰なの?」と尋ねた
今まで選手に売り込みをしていたチャックは「売り込む人を間違っていた」と気づき、全米各地で講習会を開き、コーチや学校の関係者に売り込むようになる。

さらに、雑誌「バスケットボール年鑑」も刊行し、バスケットボールの記録やチーム選手紹介、戦略解説も行った。
この雑誌に載ると全米に名が知れ渡る事もあり、載せて欲しいチームや選手はこぞって|CONVERSE|を履いた。

それによって「バッシュ=コンバース」という図式が出来上がり、その普及活動を評価され、1946年にチャックの筆記体サインがアンクルパッチに表記されるようになる。

|NEW BALANCE ニューバランス||CONVERSE コンバース|。同じ時代、同じ場所で生まれた。

それと共に、どちらも心酔した優秀なセールスマンがおり、そのセールスマンが事業を大きくするようになる。

意外?にも共通点が多い2ブランドが、この後も世界のスニーカーファンを熱狂させる。

ただ、これもまた別のお話。

次回は、スニーカー 界最大の兄弟喧嘩。|adidas アディダス||PUMA プーマ|の誕生物語。

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