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|VANS ヴァンズ|とは、ポール・ヴァン・ドーレンがジム・ヴァン・ドーレン、ゴードン・リー、セルジュ・デリーアの3人と手を組み創業したフットウェアブランド。
「型破り」で多くの人に愛されるブランド。
多くの人に愛されているのに、なぜ「型破り」なのか?が分からない人も多いのではないでしょうか。
深い歴史から、人気アイテムや年代の見極め方法まで徹底解説をします。
「型破り」なスニーカー
スケーターから世界中の人に愛されるブランドの歴史
創業者ポール・ヴァン・ドーレンが1966年に立ち上げた|VANS|。
「型破り」なスニーカーブランド。
なぜ「型破り」と呼ばれるのか?そして、|VANS|が世界中の人に愛されたのか?歴史を紐解きます。
アメリカのマサチューセッツ州ボストンで生まれたポール・ヴァン・ドーレンは、学校がどうして好きになれず中学校を退学する。
母親の勧めで|Randy’s|という靴メーカーに勤める。
ポールはそこで出世することに成功し、34歳の時には副社長になっていた。
そんな時、カリフォルニア州にあるガーデングローブ工場の業績回復のために、弟のジェームズとゴードン・リーと共に乗り出し、V字回復に成功。
さらには、ブランドの認知を上げるためにサーフィンの世界的なイベントである「The U.S. Open of Surfing(全米オープン・オブ・サーフィン)」に出店。そこでハワイの英雄的サーファーのデューク・カハナモクにカスタムメイドのスニーカーを提供。それがきっかけでサーフィン業界での市民権を得る。
ちなみに、現在では|VANS|がThe U.S. Open of Surfingのメインスポンサーを担っている。
デューク・カハナモク 【五輪選手・サーファー・俳優】
1890年ハワイで生まれる。
ビーチで雑用をこなし日銭を得る「ビーチ・ボーイ」として少年時代を過ごす。1911年にアマチュアの水泳競技会で世界記録を4.6秒縮める記録を叩き出し、オリンピック代表の座を手に入れる。1912年のストックホルム五輪で金メダルを獲得。その後、2つの金メダルを獲得後、引退するとサーファーとして活動し、「近代サーフィンの父」と呼ばれる。また、ハリウッド映画にも数多く出演し、ハワイ・水泳・サーフィンの魅力を伝える事に尽力した。
その経験から自分自身のブランドを立ち上げたいと考えるようになり、さらに経営陣との意見の相違をきっかけに同社を退職。
1966年3月16日に、カリフォルニア州アナハイムに「The Van Doren Rubber Company」として工房兼ショップとして開業する。
当時、オーダーを受けてから靴を製造し、それを直接顧客に手渡しするオーダーメイド制を取っていた。
スケートボードでは利き足の靴底が早くすり減ってしまうと聞き、片方の靴のみでも購入できるようにしたこともあり、サーファー・スケートボーダーに人気となった。
また、1970年の前半には現在「AUTHENTIC」として知られる#44 DECK SHOESシリーズが誕生する。
同じタイミングで|NIKE|が開発したとされるワッフルソールが取り入れられたが、このソールの頑丈さとグリップ力によりさらにスケートボーダーに人気となった。
ワッフルソール 【スニーカーソール】
1971年にビル・バウワーマンによって発明され、ワッフルトレーナーとして発売された。バウワーマンがアイデアを出し、見本を作り、当時|NIKE|が契約していた日本ゴムに送り、製品化された。
元々、サーファーが陸に上がった時の休憩中にやる程度の遊び道具だったスケートボードだが、この時期にスケートボードも注目されるようになる。
そのきっかけを作った伝説的なスケートチーム「Z -BOYS」のステイシー・ペラルタ(Stacy Peralta)やトニー・アルバ(Tony Alva)だ。
|VANS|は彼らを招き、デザインなどについて意見交換していた。
Z-BOYS 【スケートボードチーム】
1971年にベニスビーチのサーフショップ「ジェフ・ホー・サーフボード&ゼファー・プロダクション」がゼファーサーフチームを作る。ショップの周辺を通称「ドッグタウン」と呼ばれ、他所から来たサーファーを締め出したりしていた。
1975年から、スケートチーム「Z-BOYS」が分離される。ステイシー・ペラルタ、トニーアルバ、ジェイ・アダムズ、ネイサン・プラット、アレンサーロの5人がオリジナルメンバーでスタートするが、その後すぐに6人が加わり11人のチームとなった。メンバーが活躍することで、数々の雑誌の表紙を飾るなど、ロックスターばりの人気を誇った。スタイルという概念を取り入れたり、水が入っていないプールでスケーティングを始めるなどパイオニアとしても有名に。その後、メンバーにそれぞれ大きなスポンサーが付いたことにより、1976年にあっけなく解散した。
ステイシー・ペラルタ 【プロスケートボーダー】
1957年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
11歳の時に、幼馴染であるトニー・アルバやジェイ・アダムズらとサーフィンとスケートボードを同時に始める。
1975年、スケートボードチーム「Z -BOYS」を結成するが、大人気となり翌年解散。
ステイシーはプロスケーターランキング第一位となる。1978年にはジョージ・パウエルと共にスケートボードブランド|POWELL PERALTA|を立ち上げる。翌年にはスケートボードチーム「ボーンズ・ブリケイド」を立ち上げる。
1992年から|POWELL PERALTA|を離れ、プロデューサーとして活動。2001年にはドキュメンタリー「Dogtown and Z-Boys」、2005年には映画「LOAD of DOGTOWN」の脚本も手がけた。
トニー・アルバ 【プロスケートボーダー】
1957年、カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
11歳の時に、幼馴染であるステイシー・ペラルタやジェイ・アダムズらとサーフィンとスケートボードを同時に始める。
1975年、スケートボードチーム「Z -BOYS」を結成するが、大人気となり翌年解散。
1978年にはスケートボードブランド|Alva skateboards|を立ち上げる。2005年には映画「LOAD of DOGTOWN」のスケートボードコーチとして製作に参加。
サーフィンをルーツとしたスケートボードだが、トリックを繰り出すストリート・スタイルに変化していく。
その流れもあり、1978年に発売された「JAZZ」も、サーフィンスタイルが「オールドスクール(古典的という意味)」と呼ばれるにつれて「OLD SKOOL」と呼ばれるようになる。
このようにサーファー・スケートボーダーの中では時代遅れの風潮となるが、1982年に映画「リッジモント・ハイ」の中でショーン・ペンがスリッポンを履き、|VANS|が一般の人にも注目される。
ショーン・ペン 【俳優・映画監督】
1960年アメリカ生まれ。
1979年にテレビ映画で注目を集め、1982年に「リッジモント・ハイ」で初主演を務める。1995年には映画「デッドマン・ウォーキング」でベルリン国際映画祭男優賞を受賞。その後、世界3大映画祭やアカデミー賞の主演男優賞を全て受賞する。1991年から映画監督にも進出し、2007年の映画「イントゥ・ザ・ワイルド」で監督作品としてアカデミー賞にもノミネートされた。また、1985年に歌手のマドンナと結婚したことでも有名だが、4年後に離婚している。
今がチャンスとばかりに拡大路線を突っ走るが、それが原因で1984年に経営破綻の危機に陥る。
靴の売れ行きは好調であったが、幅広い商品展開、コピー商品の登場により価格を下げざるを得ない状況だったことが主な原因。
退任していたポール・ヴァン・ドーレンを社長に戻すことを条件に民事再生法を適用。
戻ってきたポールは
「これから3年は昇給はないかもしれないが、全てにおいてコストダウンをしなければいけない。しかし|VANS|シューズのクオリティは決して落としてはいけない」
と従業員に伝え、約束通り3年間で負債を全て債権者に返済。1991年にはNASDAQで株式公開を行う。
NASDAQ 【株式取引所】
1971年に全米証券業協会(NASD)の主催で世界初の電子株式取引所として設立。その後自動取引システムを導入し、取引高ランキングで世界3位に入る巨大市場と化した。
|VANS|はコストカットの期間を経て、スケートボード人気再燃の兆しを察して再アプローチをする。
元々|VANS|チームで、しかもZ -BOYSのステイシー・ペラルタのチームにいたスティーブ・キャバレロのシグネチャーシューズを発売する。
スティーブ・キャバレロ 【プロスケートボーダー】
1964年アメリカ生まれ。
1979年のスケートボードの全米大会で5位となり、ステイシー・ペラルタから|POWELL PERALTA|のスポンサードを受けることとなる。1980年からプロになると、「CABALLERIAL(通称:CAB)」というトリックを発明。1987年にはハーフパイプで11フィートを記録し当時の世界記録を樹立。1989年にアメリカ初のシグネチャーシューズ「CABALLERO」を発売。さらに、1991年には「HALF CAB」を発売し、世界的な人気を博す。
人気となるが、ストリート・スタイルでは足首の固定があまり必要では無いので、ハイカットを切ってミッドカットにするというトレンドが起きる。
キャバレロ自身も切って使うことが増えたので、ミッドカットのモデルを1992年に発売する。
「ハイカットをハーフに切る」、キャバレロのオリジナルトリック(フェイキー360)の半分(フェイキー180)を「HALF CAB」と呼ぶことから、そう名付けられた。
「型破り」なスニーカー
スケーターから世界中の人に愛されるまでの軌跡
'1966
ポール・ヴァン・ドーレンが3人の仲間と設立。
ブランド名には、「ヴァンとその仲間たち」という意味。
「カスタムオーダーの受注生産」から始動。
'1976
|VANS|設立した日から販売していたAUTHENTICを、
「Z-BOYS」メンバーが履き口にパッドを入れる。
それが後にERAとして発売される。
'1978
「JAZZ」という愛称で親しまれるサーフラインが特徴の名作。
当初BMX向けだったが、スケートボーダーからの支持があったため、
爪先部分に補強を入れる等の改善がされて今の形に。
'1984
|VANS|は他メーカーと競合するために数多くのシューズを製作。
事業を拡大しすぎたコトが原因で経営破綻。
1980年にポール・ヴァン・ドーレンが一線から退いていたが、
ヴァンが社長復帰するコトを条件に民事再生法を適用。
'1991
日本国内の販売権を独占していたが、
1994年に国内商標使用契約を締結し、日本企画の開発開始。
'1992
1989年に発売したスティーブ・キャバレロのモデル「CABALLERO」。
Hiカットだったため、Midカットにした後継モデルとして発売。
'2004
|THE NORTH FACE|擁するVFCが3億9600万ドルで買収。
売上高20億ドル以上のブランドに成長させた。
「型破り」なスニーカー
スケーターから世界中に愛されるアイテム達
スケーターのためにに立ち上げた|VANS|。
しかし、世界中の人に愛された「型破り」なスニーカーたちを紹介します。
参考価格 ¥6,050-
1970年前半から販売している初期モデル。
初期は#44というナンバーで呼ばれていた。現在も変わることの無い「バルカナイズド製法」はハンドメイドで丁寧に熱圧着されている。
参考価格 ¥6,050-
1976年に発売した「AUTHENTIC」をベースにしたモデル。
スケート・チーム「Z-BOYS」のトニー・アルバやステイシー・ペラルタらが「AUTHENTIC」の履き口に綿入りのパッドを入れる。それが後にERAとして発売される。
参考価格 ¥7,700-
1978年に発売した「JAZZ」という愛称で親しまれる定番モデル。
波を連想させるような曲線による美しいライン「ジャズ・ストライプ(jazz stripe)」が初めて施された。初めてジャズラインが付いたことから「ジャズ(jazz)」という名称で呼ばれることも。
当初はBMX向けだったが、スケートボーダーからの支持があったため、爪先部分に補強を入れる等、様々な改善がされて今の形に。
参考価格 ¥9,900-
1992年に発売したスケータースティーブ・キャバレロのシグネチャーモデル。
1989年に発売した「CABALLERO」をMidカットにした後継モデル。
名前の由来は2つあり、キャバレロの名がついたトリック「フェイキー360オーリー」の半分(180度)のトリックを「HALF CAB」と呼ぶことと、Hiカットだった「CABALLERO」をMidカットにしたこと。
「型破り」なスニーカー
スケーターから世界中の人に愛されるブランドライン
サーファー・スケーターのために立ち上げた|VANS|。現在では、世界中の人に愛されるようになった。多くの人をカバーするためのブランドラインを紹介します。
2003年に誕生したVANSのファッションライン。
それまでの「スケートボードやBMX用の丈夫なスニーカー」と並行して、よりファッション的に生地や柄、時にはスニーカーデザイン自体も新しく起こしまったく新しいシリーズとしてスタート。VAULTを取り扱えるショップは世界全体で150店舗以下に抑えられ、基本的にはセレクトショップや国内ではABCマートの運営する「BILLY’S」などで取り扱いされる。コラボも盛んに行われグラフィックデザイナー、コミック作家、プロスケーターにサーファーや他業種の企業など種類やモデルは多岐に渡る。
海と街がテーマでも新しい発想で実用的なモデルを発表するライン。
素材もオーガニック・コットンやヘンプ、バンブー、リサイクルペット系素材などの環境に配慮したエコ素材を使用したモデルが多いことも特徴。
「型破り」なスニーカー
年代判別方法を明確にする
ヴィンテージの靴も多い|VANS|。
分かりにくい部分があるため、分かりやすく解説します。
まず、かかと部分にあるヒールパッチを確認して欲しい。そこである程度の判別をして、ディティールを確認していく方法が分かりやすいだろう。
詳しく説明すると、インソール(中敷)→ピスネーム(サイドのブランドタグ)→ソール(地面との接着面)の順で確認すると分かりやすい。
インソール・・・「VAN QUALITY」
ピスネーム・・・付いていない
ソール・・・青のスリットソール
初期モデルはカスタムメイドだったため、ほぼ形は「AUTHENTIC」の原型。
初期モデルに関しては、ヒールパッチに「VAN」と「VAN DOREN」と書かれている2パターン存在している。
インソールにはかかと部分に革が張ってあり、ヒールパッチと同じ内容が記載されている。
ワッフルソールの開発が1971年の為、この時期のモデルには青色のソールで細い線が横に入ったスリットソール。
最初期モデルにはピスネームタグは付いていない。
「VAN DOREN」ヒールパッチには初期モデルと後期モデルの2つに分かれる。
初期モデル(1966-1970初期)
インソール・・・「VAN DOREN Made in U.S.A.」
ピスネーム・・・付いていない
ソール・・・青のスリットソール
後期モデル(1970前半-1970中期)
インソール・・・「VANS Made in U.S.A.」
ピスネーム・・・青文字「VANS」
ソール・・・ワッフルソール
初期モデルはカスタムメイドだったため、ほぼ形は「AUTHENTIC」の原型。
初期モデルに関しては、ヒールパッチに「VAN」と「VAN DOREN」と書かれている2パターン存在している。
インソールにはかかと部分に革が張ってあり、ヒールパッチと同じ内容が記載されている。
ワッフルソールの開発が1971年の為、初期モデルには青色のソールで細い線が横に入ったスリットソール。後期モデルは現在も使われる菱形のワッフルソール。
初期モデルにはピスネームタグは付いていないが、後期モデルには青文字で「VANS」と記載されている。
インソール・・・「VANS Made in U.S.A.」
ピスネーム・・・青文字「VANS®︎」
ソール・・・ワッフルソール
商標登録を出願する予定であるという意味の「T.M.」マークが付いた現行でも見られる「OFF THE WALL」マークのヒールパッチ。
「VANS」では商標取得済みで、「OFF THE WALL」で商標の申請中という微妙な時期のアイテム。
また、Z-BOYS人気のタイミングとも重なっているので、|VANS|の一番勢いがあった時期の商品。
ピスネームには商標を意味する®︎マークが付く。
インソールには®︎マークがまだ付かない。
初期モデルと後期モデルでインソールのみ変化がある。
インソール・・・初期:無地 後期:ボックスに「VANS Made in U.S.A.」
ピスネーム・・・黒文字「VANS®︎」
ソール・・・ワッフルソール
インソールには初期モデルは無地となっており、後期モデルは今でもよく見られるボックスロゴに「VANS Made in U.S.A.」と記載されている。また、少しインソール自体がふかふかになっている。
ピスネームが黒文字になっており、現行と同じものに変更される。
初期モデルと後期モデルでインソールのみ変化がある。
インソール・・・初期:無地 後期:ボックスに「VANS Made in U.S.A.」
ピスネーム・・・黒文字「VANS®︎」
ソール・・・ワッフルソール
ヒールパッチの左上部分が「T.M.」マークから®︎マークに変更される。
インソールには初期モデルは無地となっており、後期モデルは今でもよく見られるボックスロゴに「VANS Made in U.S.A.」と記載されている。また、少しインソール自体がふかふかになっている。
ピスネームが黒文字になっており、現行と同じものに変更される。
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