文化服装時代に「遠藤賞」を受賞し、パリへの往復航空券と10万円を貰って1年間近くパリへ行く事となる。
そこで、オートクチュールからプレタポルテへ時代が変遷している事に気づき、強烈な絶望感を感じつつプレタポルテへ転向する。
1981年に|COMME des GARCONS|の川久保玲とパリコレデビューをする。
このデビューが後に「黒の衝撃」と呼ばれ国内外の多くの人に影響を及ぼす。
当時タブーとされていた黒を基調とした服で挑み、「西洋の服への冒涜」という声もありながら、「新しいファッションの幕開け」と賛否両論が起きた。