2025年6月、裏原に衝撃が走った。急遽発表された|Supreme|とのコラボレーション。
だがこのニュースの本質は、もうひとつの名前にある。
GOOD ENOUGH──あの伝説が、今再び現れる。

名前は知っているだろうか?あるいは、親父のクローゼットで見かけたロゴかもしれない。
けれどこのブランドこそが、日本のストリートカルチャーを“始めた”存在だ。

1990年代初頭、裏原がまだ無名だった時代。
藤原ヒロシが立ち上げたGOOD ENOUGHは、世界中の若者が「着たい」と思うTシャツを、
東京から生み出していた。ルーズシルエットのフーディ、武骨なカーゴ、
シンプルだけどなぜか色気があるロゴデザイン。
すべてが、今のストリートの“原型”だ。

Supremeがその系譜をなぞるのは、ある意味必然かもしれない。
このコラボは、ただの復刻じゃない。リスペクトであり、継承であり、
次の世代に向けた新しい始まりだ。

「知ってるか?」で終わらせるには惜しい。
むしろ今こそ、「着るべき」時が来た。

|GOOD ENOUGH|
歴史

「元祖裏原系」
全てを開拓していったブランドの歴史

GOOD ENOUGHといえば、よく語られるのが「藤原ヒロシが立ち上げた、裏原ストリートの原点」という紹介だ。
でも、それだけじゃ足りない。彼らが切り拓いたのは、“裏原”だけじゃない。

実は、いま当たり前になっている多くのカルチャーやスタイルは、
GOOD ENOUGH──いや、藤原ヒロシとその仲間たちが“初めて”やってのけたことばかりなのだ。

たとえば──
・ブランドの顔である創業者やデザイナーをあえて伏せた匿名性の演出
・ファッション業界に革新を起こした袖タグ文化のはじまり。
・ストリートとストリートを繋いだ、世界初のブランド同士のコラボレーション。
・そして絶頂期にまさかの活動休止という、伝説化への最短ルートを自ら選んだ姿勢。

今なら当たり前に思えることでも、当時は誰もやっていなかった。売れるから」じゃなく、「カッコいいから」やる。
そんな時代の空気を切り開いたのが、GOOD ENOUGHだ。
これは、ただの懐古じゃない。
ファッションの常識を覆してきたパイオニアの軌跡を、いま改めて振り返る価値がある。

藤原ヒロシと|GOOD ENOUGH|

遡ること1990年。
|GOOD ENOUGH|はその年に産声を上げるが、実は藤原ヒロシ自身は、その時点ですでに“裏原の前日譚”を生きていた男だった。

80年代後半から、彼はDJ/ヒップホップアーティストとして東京の音楽シーンを席巻。クラブカルチャーの最前線でプレイしながら、その感性は早くも国内に留まらず、ロンドンやニューヨークの空気をダイレクトに吸い込んでいた。

その彼がカルチャーキッズの間でカルト的な人気を誇ったのが、雑誌『宝島』の伝説的連載「LAST ORGY」。盟友・高木完とともに、音楽とファッションの“最新形”を誌面に持ち込んだ。アメカジでもモードでもない、“何か新しいもの”を探していた若者たちにとって、この連載はバイブル以上の意味を持っていた。

ヒロシはファッションデザイナーである前に、トレンドの輸入者であり、解釈者であり、再構築者だった。
「世界では今、何が起きているか」──その問いにいち早く答えを持っていたのが藤原ヒロシであり、
そのアウトプットの一つが、GOOD ENOUGHだった。

彼の言葉が、プレイが、そして服が、東京のカルチャーの輪郭を決定づけていく。
GOOD ENOUGHのスタートは、ブランドの始まりであると同時に、
“東京発ストリート”というムーブメントの幕開けでもあった

そんなある日、ヒロシのもとにひとりの若者が現れる。
後に|C.E.(シーイー)|を立ち上げ、グラフィック界の奇才として名を馳せるスケートシング(通称:スケシン)だ。

当時、アメリカのスケートボードブランドが日本の一部で熱狂的に支持されていた。
「俺もTシャツを作りたいんすよ」──そんな何気ないひと言が、
日本のストリートファッション史を変える引き金になった。

その声を聞いた藤原ヒロシは、わずか数秒で決めた。
「じゃあブランド、始めようか」
こうして**|GOOD ENOUGH|**は、まるでセッションのようなノリでスタートを切った。

ヒロシが選んだこの名前には、意味深な皮肉と自信が込められている。
“完璧じゃなくても、十分にかっこいい”──GOOD ENOUGH。
それは大量生産にも、消費されるだけのトレンドにも迎合しない、彼らなりの“美学”の表明だった。

後に、このブランドの周辺からUNDERCOVER、A BATHING APE®、WTAPSなどが次々と誕生。
「裏原系」という言葉がカルチャー用語として定着するのは、この少し後のことになる。

つまり、GOOD ENOUGHはただのブランドじゃない。
東京のストリートカルチャーに“ジャンル”を与えた、最初のマイルストーンだったのだ。

本格的に動き出すにあたり、ヒロシはある男に声をかけた。
福岡・小倉でセレクトショップ「THIEVES(シーヴス)」を営んでいた岩井徹だ。
ストリートの現場感と独自の審美眼を持つ岩井は、東京のキッズとは異なる地方カルチャーの熱を知っていた。
ヒロシは、その感覚に信頼を置いていた。

岩井は相談を受けると、迷わず一人の人物をヒロシに紹介する。
それが、ファッション業界の裏を知り尽くした実業家、大鍛冶信明だ。

大鍛冶は、アイビーブーム真っ只中の70年代に、
あの伝説的ブランド|VAN|と|JUN|両方のショップを手がけていた人物。
その後も古着の輸入やDCブランドのビジネスで財を築き、
まさに“裏の裏”を知る仕掛け人だった。

この大鍛冶が、GOOD ENOUGHのパトロンとして加わることで、ブランドの輪郭は一気に現実味を帯びていく。

さらにもう一人。アパレルビジネスの実務に長けた水継がチームに加わり、
ヒロシのアイディアとビジョンを、商品として形にする実行力が揃った。

DJとグラフィッカーと古着屋と実業家と職人。
この異色のチームが揃ったとき、まさに「GOOD ENOUGH」──“十分に良い”どころか、
あまりにも完璧すぎる布陣が出来上がった。

東京から遠く離れた小倉という街で、裏原カルチャーの幕開けを告げる火種が静かに灯った瞬間だった。

ショーン・ステューシーから受けた影響

藤原ヒロシのカルチャー感覚を語る上で欠かせないのが、|STUSSY|との深い繋がりだ。
ヒロシ自身、創業以来ずっとSTUSSYを愛用し、相棒の高木完をはじめ仲間たちもこぞって着用。雑誌でも度々紹介され、裏原のスタイル形成に多大な影響を与えた。

この関係の始まりは1986年。
三軒茶屋で行われた雑誌の取材で、ヒロシはSTUSSYの創業者ショーン・ステューシーと出会う。
ショーンはその場でヒロシの感性に惚れ込み、アメリカに帰国後も服を送るなどして交流は今も続く。

こうしてヒロシは、世界に数人しかいないと言われる“INTERNATIONAL STUSSY TRIBE”(STUSSYの国際的な仲間たち)にも名を連ねることになる。

STUSSYが築いた「その街で本当に認められた“オシャレな人”に服を着てもらう」というマーケティング手法は、
後に裏原系ブランドのマーケティング戦略の基盤となった。

服をただ売るだけじゃない。
カルチャーの中心人物を巻き込み、ムーブメントを生み出す──これこそがストリートファッションの真髄だったのだ。

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|GOOD ENOUGH|の「初めて」物語

音楽業界で「知る人ぞ知る存在」として確固たる地位を築いていた藤原ヒロシ。
そんな彼は、あえて自分の名前を伏せることで謎めいた存在感を保っていた。
結果、|GOOD ENOUGH|の事を、アメリカのストリートブランドと同列に見なしたファンが、「本店」を求めてロサンゼルスの街を彷徨うほどの熱狂を呼んだのだ。

1990年には、当時トップアイコンの一人であった小泉今日子のアルバム『No.17』をプロデュース。
その流れで参加したライブツアー「小泉今日子’91 セクシー・ダイナマイト・ツアー・MMK作戦」では、ライブTシャツの製作も手がけている。
注目すべきは、そのTシャツの左袖と背面にあしらわれた|GOOD ENOUGH|のタグだ。

このタグデザインは、ヒロシが愛したパンクブランド|SEDITIONARIES|の長い袖タグからインスパイアされたもの。
袖にタグをつけるという斬新なアイデアはここから生まれ、その後ストリートブランドの標準仕様となっていく。

そして1995年、ストリートに大きな衝撃を与える歴史的瞬間が訪れる。
それが、|PORTER|とのコラボレーションだ。
アパレルブランド同士による“初めてのコラボ”として知られ、後のブランドコラボ文化の礎となった。

ヒロシは1983年発売の名品「タンカー」を愛用しており、
この素材を使ったレコードバッグの製作を|PORTER|に依頼。
出来上がったバッグに大満足した彼は、数量限定でGOOD ENOUGHとのコラボ商品として発売。

これを機に|PORTER|は全国的な知名度を獲得し、後の|HEAD PORTER(ヘッドポーター)|へと発展していく。

この一連の流れは、ファッションと音楽がクロスオーバーする90年代のストリートカルチャーを語る上で欠かせない伝説の1ページだ。

カルチャーを紡ぎ、潮目を読む──GOOD ENOUGHの転機

1990年代後半、GOOD ENOUGHはただのストリートブランドの枠を超え、さまざまな革新的コラボレーションを次々と仕掛けていった。
なかでも、のちに世界的なアイコンとなる|Supreme|との関係は特筆すべきだ。
Supremeの創設者とも深い交流を持ち、互いのカルチャーをリスペクトしながら刺激を与え合ったこの時代のコラボは、今なお伝説として語り継がれている。

また、当時の日本のストリートシーンにおいて、GOOD ENOUGHは|UNDERCOVER|や|WTAPS|などの次世代ブランドと肩を並べ、互いに影響を与えながらムーブメントを盛り上げた。
こうしたコラボレーションは単なる商品開発に留まらず、カルチャーの共有と進化を促す“交差点”として機能し、裏原カルチャーの拡大に大きく貢献した。

しかし、すべてが順風満帆だったわけではない。
1990年代後半、ストリートファッションは急速に拡大し、裾野は広がったものの、その熱狂は同時に過熱と消耗も招いていた。

そんな中、藤原ヒロシはブランドの将来を見据えた。
「続けること」が目的化し、勢いだけで走る潮流に疑問を抱いた彼は、
まだブランドが輝きを失う前にいったん休止するという決断を下す。

この判断は、ファッション業界においては異例とも言える冷静さと嗅覚の鋭さを示していた。
流行の波に流されず、自らの美学と価値観を守ることを優先したヒロシの先見性は、
のちの彼のキャリアやブランドの評価をより一層高めることになった。

単なる“成功の継続”ではなく、“潮目を読む力”こそが真のプロフェッショナルの証だ。
GOOD ENOUGHの一時休止は、むしろブランドを“伝説”へと昇華させ、そして再び未来に挑むための鋭い決断だったと言える。

カルチャーを紡ぎ、潮目を読む──GOOD ENOUGHの転機

ブランドの魂そのものであった藤原ヒロシは2000年代前半には手を引くようになる。

ヒロシ自身が築き上げた「十分に良い(GOOD ENOUGH)」というコンセプトは、時代の変化とともに少しずつその役割を終えようとしていた。
彼は自らのクリエイションと価値観を次のステージへと昇華させるために、一歩身を引くことを選んだのだ。

その後、ブランドはライセンス運営へと移行し、徐々にその存在感は薄れていった。
そして2017年、GOOD ENOUGHは惜しまれつつブランドとしての幕を閉じることとなる。
この終焉は単なる終わりではなく、ひとつの時代の節目として、多くのファンにとっても特別な出来事だった。

しかし、2025年6月。
ファッション界に再び衝撃が走る。
かつての“裏原”の盟友であり、世界的ストリートブランドとなったSupremeとのコラボレーション発表だ。

このニュースは、GOOD ENOUGHの歴史に新たな1ページを刻む瞬間となった。
Supremeとのタッグは、過去と現在、伝統と革新を繋ぐ架け橋。
ブランドが終わりを迎えた今も、その精神は決して消え去っていないことを証明した。

「終わりは始まり」——藤原ヒロシの先見の明と、GOOD ENOUGHの持つ唯一無二の存在感が、今また若い世代のストリートに熱狂を呼んでいる。

|GOOD ENOUGH|
年表

「元祖裏原系」
全てを開拓していったブランドの軌跡

'1990

|GOOD ENOUGH|
スタート

1990年、|GOOD ENOUGH グッドイナフ|を立ち上げる。
創立者は、藤原ヒロシ、スケートシング、岩井徹、水継の4人。
当時、藤原ヒロシの名前は伏せていた。著書『丘の上のパンク』で
「服本来を見てもらえずに、買ってくれる人たちは買ってくれるし、
嫌っている人たちには無視されそうだから、それをなくしたくて、名前を出さなかった」
と語る。

'1991

小泉今日子ライブTシャツ
製作

藤原ヒロシがプロデューサーとして参加していた
「小泉今日子‘91 セクシー・ダイナマイト・ツアー・MMK作戦」
ライブTシャツに、左袖と背に|GOOD ENOUGH|のタグが付いていた。

'1995

|PORTER|
コラボバッグ発売

日本で初めてのコラボ商品と言われる。
タンカーを使ってレコードバッグを作り、数量限定で販売。
これを機に|PORTER ポーター|は全国区となり、
|HEAD PORTER ヘッドポーター|に繋がっていく。

'1998

絶頂期
半年間休止

|GOOD ENOUGH|を取り扱う店舗も40店舗に増えていた。
藤原ヒロシの独断で半年間休止し、店舗数も友達の10店舗に絞る。

'2004

|RESONATE GOOD ENOUGH|
スタート

2004AWから「シンプルかつ機能的なウェアー」を展開。

'2017

|GOOD ENOUGH|
ブランド終了

'2025

|Supreme|
コラボレーション

GOODENOUGHのアーカイブを|Supreme|が再解釈し、
アパレルからキャップ、小物まで幅広く展開。
さらに|Nike|とのトリプルコラボによるAir Force 1 Lowもリリースされた。

|GOOD ENOUGH|
アイテム

「元祖裏原系」
新しくて普遍なアイテム達

モッズコート|MODS COAT

参考価格    ¥84,000-

人 気
5 のうち 4.5 と評価しました

1996年に発売されるやいなや、流通量の少なさもあり、一気にレア化する。
ヴィンテージのM-51をベースに、左袖の下部をストライプの生地で切り返すという斬新なアプローチで人気を呼ぶ。
ブランド創設25周年記念として2015年の1年間、|時しらず|とのコラボレーション復刻コレクションとして復活もしている。

この記事の監修者:

Qkaku(キューカク)

株式会社KATOが運営する、アパレルリユースショップ「Qkaku」は、 「挑戦のはじまりを、もっとそばに。」を理念に掲げ、 ファッションの価値を見直し、新たな挑戦を応援するリユースサービスを提供しています。

スタッフには国内大手リユースショップで10年以上の査定実績を持つプロや、 海外バイイング経験者も在籍。確かな目利きとグローバルな視点で、
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