|FRED PERRY フレッドペリー|とは、テニスプレイヤーのフレデリック・ジョン・ペリーが創業したイギリス発祥のブランド。

ポロシャツが定番。ブランドのスタイルとして、「勝ち誇ることなく挑戦的に。もっともな理由があって反抗的に。」

なぜこのポロシャツが人気なのか?が分からない人も多いのではないでしょうか。

深い歴史から、人気アイテムや年代の見極め方法まで徹底解説をします。

INDEX

|FRED PERRY|
歴史

「もっともな理由があって反抗的に」
テニスからモッズまで、多くの人に愛されたブランドの歴史

創業者フレデリック・ジョン・ペリーが1952年に立ち上げた|FRED PERRY|。
「反抗的」なブランド。

なぜ「反抗的」と呼ばれるのか?そして、|FRED PERRY|が世界中の人に愛されたのか?歴史を紐解きます。

テニスから生まれたブランド

フレデリック・ジョン・ペリーは、|FRED PERRY|の創業者として有名ですが、イギリスでは多くの人から「テニスの神様」として尊敬されている。

ペリーはそもそも卓球選手としても世界選手権優勝するなど実績があり、20歳の時にテニスに転向。

ウィンブルドン選手権を1934年から三連覇するなど、男子テニス史上初のグランドスラム(4大国際大会全てで優勝)を達成する。

ウィンブルドン選手権 【テニス大会】
1877年から始まったイギリス・ロンドンのウィンブルドンで開催されるテニスの4大国際大会のひとつ。
試合や練習の際には白いウェアを着用することが義務つけられている事も伝統。
男子シングルスでは、1936年にフレッド・ペリーが優勝して以降イギリス人優勝者が2013年まで現れず、「ウィンブルドン現象」という言葉が生まれた。

|FRED PERRY|
年表

「もっともな理由があって反抗的に」
テニスからモッズまで、多くの人に愛されるまでの軌跡

'1936

「グランドスラム」
達成

フレッド・ペリーは、ウィンブルドン選手権で大会3連覇を含む、
4大大会でシングルス通算「8勝」を挙げた。

'1938

アメリカ合衆国
移住

ペリーはイギリスを離れ、アメリカ市民権を取得。
第二次世界大戦のきかんちゅうはアメリカ空軍に勤務。

'1940-

リストバンド
製作

ティビー・ウェグナーとリストバンドを製作する。

'1952

「フレッドペリースポーツウェア社」
設立

トレードマークである月桂樹は、最高のテニスプレイヤーの称号。
正式にウインブルドンから許可を得て使用している。

'1957

「M12」
製作

当時ダボダボのシルエットのシャツが溢れていたテニスウェアの中で、
ペリーが作る体にぴったりフィットするシャツはすぐに注目される。

'1960-

モッズ
M12が定番に

イギリスの労働者層の若者で“モッズ”ムーブメントが起きる。
|FRED PERRY|のポロシャツをスポーツミックススタイルとして愛用。

'1990-

ミュージシャン
こぞって着用

音楽文化が強いモッズの文化を引き継いでミュージシャンが着用。
blurのデーモン・アルバーンやOasisのリアム・ギャラガーなど、
名だたるミュージシャンが身に纏うことで更なる知名度を獲得。

'2008

|RAF SIMONS FRED PERRY Collaboration|
スタート

トラッドでクラッシックなテーラードスタイルと、
反抗的な若者文化からインスピレーションをうけて、両者を融合させた、
テーラードとユースカルチャーの融合がデザインの特徴。

|FRED PERRY|
アイテム

「もっともな理由があって反抗的に」
テニスからモッズまで、多くの人に愛されたアイテムたち

世界中の人に愛されたブランドのアイテムを紹介します。

M12

参考価格    ¥14,300-

人 気
3/5

1957年に誕生したポロシャツの定番。
12番目にデザインしたポロシャツのスタイルナンバー。襟のまわりと袖口に月桂樹のロゴと同じ色の2本線のティップラインが入っているのが特徴。いまだにイギリス生産にこだわって作られているモデル。
また、M12のアジア製の廉価モデルとしてM1200がある。品質が劣り、価格が安くなりやすい。

F1528

参考価格    ¥11,000-

人 気
2.5/5

M12の日本製。日本製鹿の子を使用されており高品質。着丈が短く設計されており、身幅・袖口も少し絞られている。全体的に、日本人の体に合うようつくられている。
元々は、「F1102」という型番だったが、2015年に「F1528」に変更している。

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