スニーカー年表vol.02

昨今、街を見渡せば誰もが履いているスニーカー。
しかし、その背景には100年以上にわたる深い歴史がある。

もともとはアスリートのための運動靴として誕生し、スポーツの現場で磨かれた機能性が、やがてファッションとして昇華。ストリートの若者たちに受け入れられた。いまや市場に流通する靴の7割以上がスニーカーだというデータもある。1900年代初頭にはほとんど誰も履いておらず、2000年代初頭でさえ3割台にとどまっていたことを考えると、その爆発的な広がりは驚異的だ。

とりわけ日本人のスニーカー愛は強烈で、その熱狂ぶりは「スニーカーの中心地がTOKYOになった」と称されるほど。
なぜ人々はこれほどまでにスニーカーに惹かれるのか。
そして、その熱狂はこれからも続くのだろうか。

連載第2回となる今回は、スニーカー史の原点ともいえる「誕生」と、進化の背後にあった「バスケットボールの誕生」を掘り下げていく。

スニーカーの歴史は、ソールの素材「ゴム」から始まる。

広辞苑には「底がゴム製の運動靴」とあるように、スニーカーの定義を決める主役はソール=ゴムである。

前回触れた通り、ゴムは歴史的な発見によって飛躍的な進化を遂げ、やがてスポーツや日常に欠かせない存在となっていった。

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靴の歴史は非常に古く、紀元前7000年頃にはすでにヨモギの樹皮を編みこんだサンダルが存在していたと言われている。時代を経て産業革命以降の1800年代には、機械化の波によってブーツや革靴が大量生産され、人々の日常に欠かせない存在となった。

しかし、それらはあくまで屋外やフォーマルな場面で履かれるものであり、「運動のための靴」という概念はまだなかった。では、なぜスニーカー――底にゴムを備えた運動靴――が誕生する必要があったのか?

答えは、19世紀末に生まれた新しいスポーツにある。室内で行う競技「バスケットボール」の登場だ。固い床の上で素早く動き、ジャンプし、着地を繰り返す選手たちには、従来の革靴では対応できない。グリップ力、衝撃吸収性、そして軽さ。これらを満たすためにこそ、ゴム製ソールを用いた新しいシューズが求められたのである。

スニーカーの歴史は、まさにスポーツの進化とともに歩み始めたのだ。

上司の無茶振りから生まれた?
バスケットボール誕生

1891年、アメリカ・マサチューセッツ州スプリングフィールド。国際YMCAトレーニング・スクールで体育を指導していたカナダ人教師ジェームズ・ネイスミスの手によって、後に世界中を熱狂させるスポーツ「バスケットボール」が生まれた。

当時、冬季の厳しい寒さと積雪により屋外競技は困難で、体育館では体操が中心。しかし、生徒たちは夏に行うアメリカンフットボールやサッカーのような躍動感あふれる競技を望んでいた。単なる鍛錬ではなく、心から楽しめる新しいスポーツを欲していたのだ。

その声を受けた科長ルーサー・ギューリックは、ネイスミスに「まったく新しいゲームを考案せよ」と命じる。半ば無茶ぶりのような指令だったが、ネイスミスは試行錯誤の末、13のルールを記した新競技を作り上げた。これこそが、後に世界を変えるスポーツ、バスケットボールの始まりであった。

ネイスミスの実験から生まれた「13のルール」

新しいスポーツを生み出すにあたり、ネイスミスはまず「既存の競技を屋内でできないか」を試した。
だが、アメリカンフットボールを試せば荒すぎて怪我人が続出。サッカーを試せば体育館の窓ガラスが粉々になる。

「なぜ、ラフプレーが起きるのか?」
ネイスミスが導き出した答えはシンプルだった。ボールを持ったまま動けるからタックルが発生する。ならば――ボール保持者はその場で止まらなければならない。

だが、止まったままでは得点できない。そこで必然的に“投げる”ことが必要となる。力いっぱい直線的に投げれば窓は割れる。ならばゴールを上に設置し、放物線を描かなければ入らない仕組みにすればよい。

こうして生まれたのが、今日まで受け継がれる「13のルール」だ。バスケットボールは単なる思いつきではなく、問題解決の連続からデザインされた“最適解のスポーツ”だったのである。

バスケットボール誕生秘話
桃のカゴから始まった世界的スポーツ

1891年、冬のマサチューセッツ州スプリングフィールド。雪に閉ざされ外での運動ができない若者たちのために、体育教師ジェームズ・ネイスミスは新しい室内競技を考案しようとしていました。彼は「ボールを扱う遊びにしたい」と考え、サッカーボールを使うことを決めましたが、最大の課題は「ゴールをどうするか」でした。

悩んだ末に体育館の管理人へ相談すると、管理人は「桃の収穫に使う籠ならありますよ」と、木製のピーチバスケットを持ってきてくれます。ネイスミスはそれを体育館2階のバルコニーの手すりに取り付けました。ちょうど床から10フィート(3.05m)の高さで、それが後に現在も続く公式のゴールの高さとして定められることになります。

こうして初めてのバスケットボールの試合が行われました。当初は13のルールで構成され、シンプルながらも白熱する競技に学生たちはすぐに夢中になりました。試合を経験した参加者たちは地元に戻り、新しいスポーツを広めていきます。しかしここで問題になったのが「名前がまだ無い」ということでした。

「ネイスミス・ボール」と、考案者の名前を冠する案も出ましたが、ネイスミス自身が「これは自分のための遊びではない」として断固として拒否します。代わりに「カゴとボール」というシンプルな発想から「Basket Ball」と名付けられました。その後、1921年には「Basketball」と一語で表記され、今では世界中で愛されるスポーツへと成長していきます。

世界初試合の舞台裏
18人の中の日本人

バスケットボールの世界初試合は、意外なことに18人で行われた。当時は人数制限がなく、激しい競技が展開されていた。やがて1897年、今に続く「5人制」が正式に採用されることになる。

しかし、この初試合の18人の中に、ひときわ異彩を放つ存在がいた。日本から渡米した青年、石川源三郎である。群馬県出身のクリスチャンであった石川は、20歳の頃に「次世代を担う若者への奉仕」を実現するため、YMCA(Young Men’s Christian Association)トレーニング・スクールに入学していた。

体育館の片隅で始まった新しいスポーツの熱気を、石川はただ眺めるだけでは終わらなかった。彼は絵の才能を活かし、試合の様子を丁寧にスケッチ。その絵は後にバスケットボールを紹介する雑誌の挿絵として使われ、競技の魅力を広く伝える一助となったのだ。

世界初試合の現場に立ち会い、なおかつその記録を残した石川源三郎。その功績は、バスケットボールが世界に広まるうえで重要な役割を果たしたことを示している。初めてのゴール、初めてのシュート、そして初めての「観客の視点」をも伝えた日本人――石川の存在は、バスケットボール史の意外な隠れた主役のひとりと言えるだろう。

石川源三郎が書いた世界初の試合の様子をスケッチし、バスケットボールを紹介した。

スニーカー誕生?
バスケットシューズ誕生秘話。

世界初のバスケットボール専用シューズとして知られるのは、1917年に登場した|CONVERSE コンバース|オールスターだ。しかし、バスケットボールは1891年の誕生から瞬く間に全米へ広まり、1896年には700人の観客が詰めかける「史上初のプロゲーム」が開催されるほどの人気を誇った。

そのことを考えると、バスケットボール専用の靴が1917年まで存在しなかったとは考えにくい。実際、Keds(ケッズ)の前身を含む多くのゴム会社が合併してできたU.S.Rubber社は、1900年のカタログで100種類以上のラバーシューズを販売していた。その中に「バスケットボールシューズ」という名前はなかったものの、当時はバスケットボール誕生からまだ9年しか経っておらず、専門の商品化が進んでいなかっただけかもしれない。

さらに、U.S.Rubberに合併する前のコルチェスター・ラバー・カンパニーが1892年にバスケットボール用の靴を製作したという説もある。この開発にネイスミス自身が関わった可能性も指摘されており、もしこれが事実なら、1893年にボート競技用として誕生したとされるスニーカーよりも早く、ゴム底の運動靴は存在していたことになる。

真偽は定かではないが、体育館で俊敏に動くためにはゴム底の運動靴は不可欠だった。創造力豊かなネイスミスなら、バスケットボールのための靴の制作を試みていた可能性も十分に考えられる。

コルチェスター・ラバー・カンパニーの復刻スニーカー。

バルカナイズ製法が生まれてから約50年――ついに、私たちが知る「スニーカー」が誕生した。
その背景には、屋内スポーツとして生まれたバスケットボールの存在も大きい。ゴム底の運動靴は、俊敏な動きを支える必須アイテムとして不可欠だったのだ。

スニーカーとバスケットボールの関係は、この時から密接なものとなる。やがて両者は互いに影響し合い、機能性だけでなくファッションとしても昇華していくことになる。しかし、その物語はまた別の章で描かれる。

次回は、近代オリンピックの誕生と、イギリス・アメリカで生まれたランニングシューズブランド、|Reebok リーボック||Saucony サッカニー|の誕生秘話に迫る。スポーツとシューズが世界をどう変えていったのか、その全貌を紐解く。

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この記事の監修者:

Qkaku(キューカク)

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