【買取強化中】NUMBER (N)INEとは? 歴史・名作アイテム・高騰理由を解説
「NUMBER (N)INEって、なぜ“()”があるの?」そんな疑問を抱いたことのある読者は少なくないはず。
ナンバーナイン——1996年に宮下貴裕が立ち上げたこのブランドは、音楽とモードを融合させた独自の世界観で、瞬く間にストリートとハイファッションの架け橋となった。ブランド名の由来は、ビートルズの実験的な名盤「Revolution 9」に由来する。
しかし、“(N)INE”になぜ“()”があるのか?を知っている人は少ないのでは無いだろうか?
NUMBER (N)INEのルーツが潜んでいる。この記事では、その謎に包まれた“(N)”の正体に、今あらためて迫ってみたい。
「NUMBER (N)INEのアイテム、お持ちではありませんか?」
今では手に入らない貴重なアーカイブだからこそ、
Qkakuが丁寧に査定いたします。
▶︎ 買取査定はこちら(事前に金額が分かります)
MENU
・2000−01 AW REDISUN
・2001 SS TIME MIGRATION
・2001-02 AW STANDARD
・2002 SS THE MODERN AGE
・2002-03 AW NOWHERE MAN
・2003-04 AW TOUCH ME I’M SICK
・2004 SS DREAM BABY DREAM
・2004-05 AW GIVE PEACE A CHANCE
・2005 SS NIGHT CRAWLER
・2005-06 AW THE HIGH STREETS
・2006 SS WELCOME THE SHADOW
・2006-07 AW NOIR
・2007 SS ABOUT A BOY
・2007-08 AW LOVE GOD MURDER
・2008 SS BIRDS
・2008-09 AW MY OWN PRIVATE PORTLAND
・2009 SS THE LONESOME HEROES
・2009-10 AW A CLOSED FEELING
|NUMBER (N)INE|
年代判別
ロックスピリットを纏った
孤高のブランドを見極める




|NUMBER (N)INE|
歴史
ロックスピリットを纏った
孤高のブランドの歴史
NUMBER (N)INEといえば、「裏原系ブランド」と語られることが多い。
だが、それだけでは語り尽くせない。彼が打ち出したのは、ストリートの“熱”だけではなく、ファッションそのものの“感情”だった。
実は、今のモードやストリートに通じる多くの要素は、NUMBER (N)INE──いや、宮下貴裕が“最初に”突きつけた価値観なのだ。
たとえば──
・コレクションに明確な物語性をもたせた、感情に訴えるシーズン構成。
・バンドTやミリタリーを再解釈した、音楽×ファッションの深い融合。
・当時タブーとされた“感情的な男らしさ”の表現。
・ブランドのピークで、潔く解散という伝説を自ら選んだ美学。
いまでは一般化したこれらの手法も、あの頃はすべてが挑戦だった。
「売れるから」ではなく、「信じるから」やる。
そんな気迫と美意識が貫かれていたのが、NUMBER (N)INEだった。
これは過去の栄光ではない。今もなお語り継がれるべき、狂気と美の記録だ。
NUMBER (N)INEのルーツ — 宮下貴裕とNEPENTHESが紡いだ物語
1973年、東京生まれの宮下貴裕。
高校を中退し、服飾学校や専門教育も受けず、ただひたすらに“自分の好きなもの”を突き詰め続けた彼は、後に「NUMBER (N)INE(ナンバーナイン)」を立ち上げ、ファッションの枠を超えた表現者として語られる存在となっていく。
だがその始まりは、決して華々しいものではなかった。
ファッションの世界に足を踏み入れる前、宮下は別のショップで働きながら、渋谷のセレクトショップ「NEPENTHES(ネペンテス)」に足繁く通っていた。当時からすでに、その着こなしと佇まいには何か“只者ではない”雰囲気が漂っていたという。顧客として店を訪れるたび、彼のスタイルはスタッフの視線を集め、やがてネペンテス代表・清水慶三の目にも留まる。
「一緒に働いてみないか」
そう声をかけられたことが、すべての始まりだった。
憧れのショップで働けるという喜びと、認められたことへの手応え。宮下はネペンテスで販売業務だけでなく、商品企画やプレス、スタイリング提案など、多方面でのセンスを発揮していく。現場で培われた経験と、清水氏の寛容な支援によって、独学のクリエイションは確かな輪郭を持ち始めていた。
1996年、宮下はついに自身のブランド「NUMBER (N)INE」をスタート。ブランドの設立初期においても、清水は裏方としてビジネス面を支え、ネペンテスはその背中を強く後押しした。実際、ブランド名の“(N)”は“NEPENTHES”を意味するという説もあり、それは宮下の美学と恩義が交差する、静かなオマージュのようでもある。
NEPENTHESというカルチャーの土壌がなければ、宮下貴裕という稀有な才能があそこまで開花することはなかったかもしれない。そう思わせるほど、両者の関係は日本のファッション史において見逃すことのできない、ひとつの分岐点となっている。
ネペンテス時代の雑誌記事。20代前半らしく、あどけなさが残る。
「裏原宿」の熱の中で生まれた、もう一つの物語
1996年の東京・裏原宿は、日本のストリートカルチャーの中心地として独特の熱気を帯びていた。明治通りの東側、細く入り組んだ路地に小さなセレクトショップやアパレルブランドが軒を連ね、そこには音楽、古着、スケートボード、グラフィティなど多様なカルチャーが混ざり合っていた。特に藤原ヒロシやNIGO、高橋盾といった個性豊かなクリエイターたちが次々と現れ、その場を拠点に新しいファッションの潮流を作り出していた。
この時代の裏原は、「既成のファッションや価値観にとらわれず、自分らしさを表現する」という自由で開放的な空気に満ちていた。形式的なデザインや高級ブランドのロゴだけではなく、音楽やカルチャー、ストリートの空気感が服に反映される時代。宮下貴裕もまた、その中で独自の視点を磨いていった。
1996年11月、そんな熱狂の只中に、宮下は自身のブランド「NUMBER (N)INE」を立ち上げた。ブランド名はビートルズの楽曲「Revolution 9」の象徴的なフレーズから取られ、既存の価値観を問い直し、新たな表現に挑戦する意志が込められている。ここに、彼の「音楽のように服を作る」という哲学が強く反映されていた。
NUMBER (N)INEのクリエイションは、裏原の他ブランドとは一線を画していた。ロックやパンクの精神をベースにしながらも、詩的で内省的な世界観を持ち、単なるストリートウェアを超えた「物語を纏う服」として支持を集めていく。既製品を解体し再構築する技法や、独特のグラフィックTシャツは、当時のファッションシーンに新鮮な衝撃を与えた。
また、宮下の服作りは音楽的感性が色濃く反映されており、バンドTシャツや歌詞、映画のイメージなどから着想を得ることも多かった。だからこそ、NUMBER (N)INEは単なる服以上の存在として、ファンの心を掴み続けている。
設立当初は卸を中心に展開し、店舗数も限られていたものの、徐々にファッション感度の高い層や音楽好きの間で口コミが広がり、ブランドは注目を集めていった。
こうしてNUMBER (N)INEは、裏原カルチャーの“自由で反骨的な精神”を体現しつつも、独自の詩的世界を持つ異端のブランドとして、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、その名を確立していくのだった。
RELATED
あわせて読みたい
若者を目立たない地下に誘う魅力
翌年に表参道の裏通りに最初の店舗を構えた。若きデザイナーの迅速な決断はブランドの存在感を急速に高め、独自の世界観で多くのファッション愛好者の心を掴んだ。宮下貴裕の創作は、男性の内面に潜む複雑で繊細な感情を映し出すことに重きを置き、他に類を見ない魅力を放っていた。
ブランドの評価が高まる中、店舗は恵比寿の閑静な商店街の地下に移転した。目立たないその場所はまるで隠れ家のようで、訪れる熱心なファンたちが列をなすこともあったが、日常的に混雑しているわけではなかった。
ときに並ばずに入店できる日もあったが、その理由はすぐに明らかだった。店内に並ぶ商品は極端に少なく、数点のTシャツがかかっているだけで、雑誌やメディアで見かけた有名なジーンズやジャケットは見当たらなかった。まるで希少な品だけを扱う静かな店のようだった。
これは当時のコレクションの人気が非常に高く、実物が手に入りにくい「幻のアイテム」となっていたことを示している。多くのアイテムは即座に売り切れ、店頭にはごくわずかな在庫しかなかった。
さらにスタッフの接客態度も特徴的だった。彼らは客に積極的に話しかけることはなく、壁にもたれかかることも珍しくなかった。このクールで距離を置いた姿勢は、一見すると無関心に映るかもしれないが、これは裏原宿カルチャーの精神を色濃く受け継いだものでもある。派手な愛想や明るい笑顔は求められず、むしろ人間の暗さや孤独を受け入れるブランドの哲学に合致していたのだ。
こうした静謐な空間と独特の接客スタイルは、ナンバーナインが単なるファッションブランドに留まらず、人間の内面に潜む影や孤独を映し出す孤高の存在であることを物語っている。商業的な華やかさを追わず、独自の美学を貫くことで、多くの熱狂的なファンを惹きつけ続けているのだ。
雑居ビルの一角にひっそりと構えたその店は、まさに“隠れ家”。外観からは想像もつかないほど、内装は徹底的に作り込まれた世界観で満たされていた。宮下貴裕の感性が息づく空間には、彼の思想に共鳴する若者たちが自然と引き寄せられていた。ファッションの“聖地”から離れた立地でありながら、足を運ぶ価値があると感じさせた吸引力が、そこには確かにあった。
「兄弟」のように――高橋盾と宮下貴裕、東京ストリートが生んだ奇跡の関係性
1990年代から2000年代初頭の日本ファッションシーンにおいて、|UNDER COVER|の高橋盾は東京コレクションの先駆者として確固たる地位を築いていた。1994年秋冬から同舞台に立ち、裏原宿カルチャーを代表する存在だった。
一方で、宮下貴裕率いるナンバーナインは2000年秋冬に東京コレクションへ挑戦。アンダーカバーの成功を目の当たりにしつつも、自身のロックやパンクを基盤にした「内なる闇」と孤独を表現する独特の美学を貫いた。
ウィメンズを主軸とするUNDERCOVERと、メンズで時代を切り取ってきたNUMBER (N)INE。一見対照的なスタンスにも思えるが、両者に共通するのは、東京ストリートシーンを背景に、音楽をクリエーションの核に据えながら、ストリートとモードの狭間を軽やかに横断してきた点だ。
互いを強く意識し、リスペクトし合う関係は、単なる友情を超えたものだ。2人は“兄弟”と称されることもあるが、それはあくまで精神的な距離の近さを示す比喩。競い合い、高め合うその姿には、ファッションを愛する者の心を打つ物語が宿っている。
ふたりの初対面は2000年頃、綱町三井倶楽部で開催されたNumber (N)ineのショーにて。
まだ駆け出しの宮下にとって、高橋の存在はあまりに大きく、「ひどく驚いた」と振り返る。一方で高橋は「音楽を感じさせるブランドが少なかった時代、背後にどんな人物がいるのか気になっていた」と語る。
当初はまるでスターに憧れるかのように見ていたという宮下だが、今ではその関係性は上下ではなく、互いを認め合う“対等な兄弟”のようなものに。師弟でもなければ、片方が主で片方が従でもない。それぞれが築き上げてきた価値が、自然とこの絆を形成したのだ。
東京が生んだ2つの異才が織りなすこの関係は、ファッションを超えた、ひとつの美しい物語である。
RELATED
あわせて読みたい
裏原から世界へ:アンダーカバーとナンバーナインのパリコレ挑戦史
2002年、アンダーカバーは日本のストリートブランドとしては早い段階でパリコレクションに進出を果たした。裏原カルチャーの精神と革新性を世界に知らしめる重要な一歩となり、日本のファッションシーンの国際的地位向上に大きく貢献した。
その後を追うように、2004年1月23日、NUMBER (N)INEはファッション界最高峰のパリコレクションに初参加。ナンバーナインはパリの華やかさに迎合することなく、東京で培った「内なる闇」と繊細なロック精神を貫き、自らの世界観を強烈に示した。
薄暗い照明の下、モデルたちは顔を伏せて静かに歩き、涙を流す迷彩柄や自由奔放なボヘミアンニット、重厚なブーツ、クラシカルなテーラードジャケットがランウェイを彩る。特にアメリカのブッシュ政権への痛烈な反戦メッセージを掲げた黒いTシャツは、パンクスピリットを露わにし、単なるストリートブランドの枠を超えた哲学的かつ芸術的な表現として欧州のファッション関係者に深い印象を残した。
宮下貴裕は世界の視線に晒されながらも、自身の信念を揺るがすことはなかった。その姿勢はブランドの存在意義そのものであり、裏原カルチャーの多様性と進化を象徴する重要な証左でもあった。
ナンバーナインのコレクションは華やかな表層を排し、内面の闇と男性的エレガンスを深く掘り下げる新たな美の灯火となった。宮下にとって闇は光であり、多くの男たちはその暗い光に救われたのだった。「これこそが俺たちの服だ」と。
アンダーカバーとナンバーナイン、この二つのブランドのパリ挑戦は日本のストリートカルチャーが国際的ファッションシーンに浸透する契機となり、彼らの挑戦は日本ファッション史における重要な位置を占めている。裏原カルチャーの革新と多様性を世界に示した両者の軌跡は、今なお多くのクリエイターたちに影響を与え続けている。
「NUMBER (N)INEのアイテム、お持ちではありませんか?」
今では手に入らない貴重なアーカイブだからこそ、
Qkakuが丁寧に査定いたします。
▶︎ 買取査定はこちら(事前に金額が分かります)
ナンバーナインの「解散」
ナンバーナインは2009年2月、創設者である宮下貴裕の脱退に伴い、同年秋冬コレクション「A Closed Feeling」を最後にブランドとしての活動を終了することを正式に発表した。この発表は、13年にわたりファッション界に独自の存在感を放ってきたナンバーナインの歴史に一つの区切りをもたらすものであり、ファンや業界関係者に大きな衝撃を与えた。
宮下貴裕自身が「解散」という言葉を選んだのは、バンドの終焉に例えることで、ブランドを生きたアートであり、ひとつの表現体として捉えていたからだ。
ナンバーナインは13年間、音楽とファッションを密接に結びつけながら、内面の闇や孤独、男性の繊細さと強さを表現し続けた。宮下にとってブランドは単なる衣服ではなく、バンドが奏でる音楽のように、メンバー(スタッフやクリエイター)と共に作り上げる「作品」だった。そのため、宮下の脱退はバンドの解散に等しい決断だったのだ。
この「解散」という言葉は、ナンバーナインが単なるファッションブランドの枠を超え、ひとつの哲学と精神性を持つ創造体だったことを示す。解散によって一つの物語は終わりを迎えたが、その影響力と美学はファッション界に深く刻まれ、多くのクリエイターやファンにとって永遠のインスピレーションとなっている。
つまり、「解散」はブランド活動の終焉であると同時に、宮下が長年育んだ世界観を音楽の終わりに喩えることで、ナンバーナインという存在の独自性と情熱を伝えた言葉だったのだ。
|NUMBER (N)INE|
年表
ロックスピリットを纏った
孤高のブランドの軌跡
'1996
|NUMBER (N)INE|
スタート
|NEPENTHES|で働いていた宮下貴裕が創設。
ブランド名はビートルズの「Revolution 9」から由来。
'1997
ショップオープン
表参道に1号店をオープン。
何者でも無い若者の早すぎる決断が若者の熱狂をよぶ。
'2000
東京コレクション
初参加
裏原発の独自の世界観とロックの精神を融合させ、ファッションシーンに強烈な存在感を放った。
'2004
パリコレクション
初参加
東京で培った「内なる闇」とロック精神を貫き、独自の哲学と美学を世界に示した。
'2009
|NUMBER (N)INE|
解散
宮下貴裕の脱退により、13年の歴史に幕を下ろす。
ブランドは音楽のバンドのように“解散”し、その独特な哲学と美学は今も多くのクリエイターに影響を与えている。
「NUMBER (N)INEのアイテム、お持ちではありませんか?」
今では手に入らない貴重なアーカイブだからこそ、
Qkakuが丁寧に査定いたします。
▶︎ 買取査定はこちら(事前に金額が分かります)
|NUMBER (N)INE|
歴代コレクション
ロックスピリットを纏った
孤高のブランドのコレクション
2000−01 AW
REDISUN
2000年秋冬。今なお語り継がれるナンバーナインのファーストコレクションは、ストリートとモードが交差するその先に、“音楽”という絶対的な軸を持ち込み、唯一無二のスタイルを確立した瞬間だった。
オールブラックのロックスタイル、テーラードを基調としたストイックなシルエット、そして徹底した音楽的文脈。それらは「単なるファッションブランド」を超えた“カルチャーの提示”だった。
また、蓄熱・吸熱・保温性を持つダイナライブ素材をいち早く取り入れるなど、機能と美意識の両立にも果敢に挑戦。ファッション雑誌ではなく、音楽雑誌「SNOOZER」に掲載されるなど、当時から異端でありながらも確かな支持を得ていた。
2001 SS
TIME MIGRATION
ジム・キャリー主演の伝記映画『マン・オン・ザ・ムーン』でも描かれた、伝説的コメディアン“アンディ・カフマン”をモチーフにしたこのシーズン。アンダーグラウンドな死生観と、コメディという相反する要素を融合させた世界観は、当時のストリートシーンに鮮烈な印象を残した。
スケーター調のワイドパンツに、ドクロが穿たれたようなプリントのスウェットやパーカー。ロゴグラフィックTやエスニックモチーフのジャケットなど、多彩なクリエーションが光る。ガーゼ素材の切りっぱなしジャケットなど、仕立ての面でも挑戦的で、“壊す美学”を感じさせる一作だ。
2001-02 AW
STANDARD
「ベーシックなものを作ろうとするのではなく、新たなスタンダードを作ろうと思った」
──宮下貴裕がそう語ったこのコレクションは、ナンバーナインの評価を決定づけ、後のメンズファッション全体に強烈な影響を与えることとなる。
象徴的なのが、グランジムーブメントに敬意を表した加工&リペアデニム。当時“グランジデニム”として圧倒的な人気を博し、その後のリメイクブームやヴィンテージ加工トレンドの先駆けとなった。クラシカルなテーラードやブルゾンと合わせたスタイリングは、荒々しさと端正さを共存させたバランス感覚が秀逸。
さらに、アフガンストールやフーディを取り入れたストリートライクなレイヤードも印象的。今でこそ当たり前となった“ラグジュアリーストリート”の原型を、誰よりも早く、誰よりも鮮やかに提示してみせた。
同時期に“テロリスト期”と呼ばれるコレクションで時代を切り開いたラフ・シモンズと並び、2000年代モード×ストリートの源流として語られるべき、まさにナンバーナインの金字塔と呼ぶにふさわしい名作だ。
2002 SS
THE MODERN AGE
1950-60年代、ニューヨークを中心に広がったカウンターカルチャー“ビートニク”。その自由で反骨的な精神にインスパイアされた、アーティスティックなコレクションだ。
これまでの“黒”のイメージを覆すように、コレクション全体は“白”を基調とした仕上がりに。パッチワーク状にあしらわれたレタリングは、まるでカットアップ文学のような佇まいで、どこか詩的で挑戦的。加えて、リアルな汚れやダメージ加工が施されたアイテムが、ニューヨークのストリートの空気をそのまま閉じ込めたかのような質感を放っている。
ジョン・レノンの象徴的な姿をなぞる「NEWYORK CITY」Tシャツのパロディなど、随所に見られるNYカルチャーの引用もポイント。宮下貴裕が、“都市”と“アート”と“ファッション”を大胆に融合させた試みは、後のストリート×アート文脈にも確実に影響を与えた。
“黒”から“白”へ──色彩の転換と共に、ナンバーナインの表現もまた、新たなフェーズへと突入したコレクションである。
2002-03 AW
NOWHERE MAN
2001年11月、静かにこの世を去ったジョージ・ハリスン。彼への深いリスペクトを込めて制作されたのが、2002年秋冬コレクションだ。
ジョージが遺した音楽やワードローブから着想を得て、ファーブルゾン、ネルシャツ、カウチンニットなどを中心に展開。暖かみのあるカントリー&ボヘミアン調のスタイルは、ナンバーナインがそれまで築いてきた黒と白を基調とする退廃的な世界観を大きく覆し、ブランドの新境地を切り拓いた。
宮下貴裕自身も「これまでの最高傑作」と語るように、ナンバーナインにとってこのシーズンは“転換点”と呼ぶにふさわしい。音楽とファッションがより深く交わった、穏やかで美しい“内省”のコレクション。
それはまるで、ジョージの奏でた音色が服として現れたかのような静かな名作だった。
2003-04 AW
TOUCH ME I'M SICK~A NEW MORNING
体調不良による一時的な活動休止を経て、宮下貴裕が再びステージに戻ってきた。待望の復活となった2003年秋冬、そのテーマに選ばれたのは、グランジの象徴・カート・コバーン。タイトルは、彼が愛したバンド、Mudhoneyの名曲「Touch Me I’m Sick」から取られている。
赤黒のボーダーニット、ヴィンテージライクなパッチワークデニム、ルーズなパジャマスタイル、ナチュラルカラーのモヘアカーディガン、そして大ぶりのサングラス…。どのルックを切り取っても、そこには生前のカートを感じさせる空気が流れていた。
単なるオマージュではなく、ナンバーナインならではのフィルターを通した“再解釈”。作り込まれたディテールとリアリティは、ファッションとしての完成度を高めつつ、カートの魂を静かに映し出す。
後年、宮下はこのシーズンについて「自分の中で一番大切なコレクション。精神的に苦しかった時期に、洋服と仲間に救われた」と語っている。
これは単なるカムバックではない。宮下貴裕というデザイナーが、自らの“再生”をグランジの美学に重ね合わせた、心揺さぶる一章なのだ。
2004 SS
DREAM BABY DREAM
東京コレクションでのラストランウェイとなった2004年、ナンバーナインが捧げたのは、英国パンクの伝説・ザ・クラッシュへの敬意。その精神は、音と言葉だけでなく、ファッションとしても見事に具現化された。
ブラックスキニーにライダース、シャープなテーラードジャケット。テディボーイ、ロカビリー、そしてロンドンパンク──あらゆる要素を咀嚼し、再構築した“ナンバーナイン流クラッシュスタイル”が会場を支配した。
レオパード柄、ユニオンジャック、スカル、スタッズ…アイコニックなモチーフが織り込まれたアイテムはどれも攻撃的でありながら、完成された美しさを併せ持つ。リーゼントに身を包んだモデルたちは、どの過去シーズンよりも毅然とした佇まいでランウェイを闊歩し、ブランドの成熟と自信を静かに証明してみせた。
まるで最後のアルバムのように、重く、熱く、そして鮮やかに刻まれたこのコレクションは、ナンバーナインが描いた東京での最終章。激情と洗練の結晶である。
2004-05 AW
GIVE PEACE A CHANCE
ナンバーナインがパリコレの地で初披露した記念すべきシーズン。タイトルは、ジョン・レノンの反戦歌「GIVE PEACE A CHANCE」から。テーマはそのまま「世界平和」──だが、ただの理想主義では終わらないのがナンバーナインらしい。
ハートが涙を流すような迷彩柄、複雑に重ねられたミリタリールック、ダメージを帯びたテーラード。ルックは徐々に黒へと染まり、ショー終盤にはまるで平和の終焉を暗示するかのようなモノトーンの世界に変貌する。
象徴的だったのは、過去のナンバーナイン作品で培われたレイヤード技法の深化。スタイルとしての完成度、そしてメッセージ性の強さを両立させた集大成的コレクションと言える。
この“黒い平和”が、ナンバーナインを世界へ押し出す強烈なインパクトとなった。
2005 SS
NIGHT CRAWLER
アメリカのカルト絵本『Emily the Strange(エミリー・ザ・ストレンジ)』のダークでウィットに富んだ世界観にインスパイアされた、赤と黒を基調としたコレクション。ナンバーナインらしいロック精神に、ゴスパンクな要素が加わったシーズン。
袖が片方しかないカットソーや、シャツを斜めにカットして2枚重ねて着るという異色のレイヤードスタイルなど、前衛的な試みが印象的。さらに、ワイヤーを仕込んだことでシルエットの変形が可能なジャケットやコート、アシンメトリーな巻きスカートなど、実験的なアイテムも多数登場。
「着こなしが難しい」という声もありつつ、実際にショーを観たバイヤーたちの反応は熱烈。
2005-06 AW
THE HIGH STREETS
ナンバーナイン中期を象徴する名作シーズン。宮下貴裕氏が自身のバンド「THE HIGH STREETS(ザ・ハイストリーツ)」でヴォーカルを務めていた時期で、彼の内にあるアメリカン・カジュアルへの想いがストレートに反映されたコレクションです。
ネイティブアメリカン、グランジ、そしてテーラードを巧みにミックスし、土臭さと洗練の絶妙なバランスを表現。なかでも注目を集めたのが「ドッキングアイテム」の登場。ネルシャツにフードをつけたフーデッドシャツは爆発的な人気を博し、ブランドの代表的なアイテムに。
この数年後には、ラッパーのA$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)が袖をネルシャツに切り替えたブルゾンを着用し、再び話題に。時代を超えて評価される、ナンバーナインの革新性が光ったシーズンです。
2006 SS
WELCOME THE SHADOW
ナンバーナインの歴史において“伝説”として語り継がれる、2006年秋冬コレクション。テーマは、ガンズ・アンド・ローゼズのフロントマン、アクセル・ローズ。レザー、スカル、メタリック、フリンジ…ハードロックやヘヴィメタルの美学をこれほどまでに真正面からファッションに落とし込んだ例は、今なお類を見ない。
一方でこのテーマ、実は裏話が存在する。宮下氏の本来の着想源は、1980年代のアーティスト兼デザイナー、Stephen Sprouse(ステファン・スプロウズ)。パンクとアートを融合させ、ブロンディ(Blondie)などのカルチャーを牽引した伝説的人物だ。
「みんなが“アクセル・ローズ!”って言うから、それでいいやって(笑)。本当はスプロウズがやりたかったんだけどね。」
そう語る宮下氏の言葉通り、このコレクションには、ロックアイコンの表層だけでなく、アートやサブカルチャーの深層をも取り込んだ濃密なストーリーが流れている。
観る者を圧倒した、まさにナンバーナインの金字塔。
2006-07 AW
NOIR
コレクションテーマは黒(NOIR)。
ナンバーナインの原点とも言える“黒”を軸に、ミリタリー、バイカー、ウエスタンなどのエッセンスを随所に散りばめながら、かつてないほどのフォーマルなスタイリングを展開。深みの異なる黒、素材による黒の違い…そのバリエーションは実に豊かで、まるで黒という色の奥行きを探るかのような構成だ。
また、ショーのサウンドトラックには、ザ・ポーグスの音楽が使用されており、彼らのスーツスタイルともリンク。初期のストリート色は抑えられ、よりモダンに、そして洗練された“成熟した黒”が、観る者に静かな衝撃を与えた。
ナンバーナインが、黒という永遠のテーマに正面から向き合ったシーズン。
2007 SS
ABOUT A BOY
テーマのインスピレーションは、ニルヴァーナの名曲「About a Girl」。
「もしカート・コバーンが今も生きていたら——」そんな仮定から始まった本作は、アメリカン/ウエスタンの空気感にグランジの精神を溶け込ませた、ナンバーナインらしい感情のあるコレクションとなった。
サウンドトラックにはジョニー・キャッシュの楽曲が使用され、過去の「音」と「今」のスタイルを接続。温かみのあるブラウンやベージュが全体を包み込み、2002-03AW「ジョージ・ハリスン」以来のナチュラルカラーへの回帰も印象的だった。
“アバウト・ア・ガール”から“アバウト・ア・ボーイ”へ。グランジが育てたその少年は、静かに大人びていた。
2007-08 AW
LOVE GOD MURDER
2007SSに続き、アメリカの伝説的シンガー、ジョニー・キャッシュの楽曲をフィーチャー。今季はアメリカン/ウエスタンのムードをモノトーンで表現し、ナンバーナインの新たな解釈が提示された。
中でも話題をさらったのは、カットソーに施された芳香加工。香りでコレクションの世界観を伝えるという試みは、当時のファッションシーンでも異色で、強烈なインパクトを残した。
ストール全盛期とも言えるこの時代、大判のチェックストールは街に人だかりをつくるほどの人気アイテムに。視覚・嗅覚の両方で楽しませるこのシーズンは、ナンバーナインらしい感性の冴えが際立っていた。
2008 SS
BIRDS
ニール・ヤングが奏でるアコースティックサウンドに導かれるように始まった、やさしさと温もりに満ちたコレクション。今季は、風をまとうようなカシミア混の柔らかな素材を多用し、ゆるやかに揺れるシルエットでリラックスしたムードを演出した。
フェアアイル柄や、ニール・ヤングのリリック、フェザーのプリントなど、音楽とリンクするモチーフが随所に散りばめられ、繊細な生地のレイヤードが詩的な空気感を醸す。一方で、ボリューム感のあるアクセサリーや重厚なドッキングブーツがルックを引き締め、静と動のバランスを保つ。
ナンバーナインが提示した、時代の疲れを癒すようなロマンティックなロックスタイル。その空気は、いま見てもやはり美しい。
2008-09 AW
MY OWN PRIVATE PORTLAND
テーマは、ガス・ヴァン・サント監督の名作映画「マイ・プライベート・アイダホ」。その映像詩のような世界観を、ナンバーナインらしいアメリカンカジュアルで再解釈した渾身のコレクションだ。
ネルシャツ、ワークジャケット、カシミア混のニット…。どれも肩肘張らないリアルクローズながら、細部には圧倒的なこだわりが宿る。どこかネペンテス的な空気感も漂い、まるでブランド初期のフィーリングが甦ったかのよう。原点回帰と進化が同居したような佇まいは、これぞナンバーナインという完成度を見せる。
ちなみに、この映画はグッチのアレッサンドロ・ミケーレも影響源に挙げるなど、ファッション業界での支持も根強い。ファーストルックの佇まいは、まさに劇中そのものだった。
2009 SS
THE LONESOME HEROES
1968年、ローリング・ストーンズが手がけた伝説の映像作品「ロックンロール・サーカス」。その世界に佇むブライアン・ジョーンズをインスピレーション源に、ナンバーナインが描いたのは、フォークロアとパンク、そしてどこか貴族的なムードが混ざり合った幻想的なロック絵巻だった。
これまでのストリートやグランジに寄ったテイストから一転、華奢なシルエットや装飾的なディテールが目を引き、雰囲気はガラリと変貌。まさに“変化の兆し”が色濃く表れたシーズンだ。
その振れ幅に戸惑いの声も少なくなかったが、同時に、これこそが宮下貴裕の本質であることを感じさせた。葛藤のなかでビジネスとアートの狭間を模索した彼が打ち出した新たなベクトル——それは、次のラストコレクション、そして|TAKAHIRO MIYASHITA The Soloist.|へと確かに繋がっていく布石となった。
2009-10 AW
A CLOSED FEELING
アラスカへの旅。宮下貴裕がその地で出会った、ひっそりと佇むホテルのカーペット、カーテン、装飾品──それらすべてが、このラストコレクションのインスピレーション源だった。
前シーズンから続くヨーロピアンなムードに、ナンバーナインらしいグランジの余韻が重なる。継ぎ接ぎにされたファブリック、複雑に構築されたレイヤード、そして顔を覆うヴェールが演出する神秘的な空気。ショー全体に漂っていたのは、まるで静かに幕を閉じる舞台のような緊張感だった。
商業性からは離れたかもしれない。だが、細部に至るまで練り込まれたプロダクトには、ものづくりへの執念が宿っていた。誰かに寄せるのではなく、己の内側から湧き上がる衝動のままに――宮下貴裕の最後のメッセージとも言えるシーズンだった。
そして、静かに幕は下りる。次なる舞台は「TAKAHIRO MIYASHITA The Soloist.」──。
「NUMBER (N)INEのアイテム、お持ちではありませんか?」
今では手に入らない貴重なアーカイブだからこそ、
Qkakuが丁寧に査定いたします。
▶︎ 買取査定はこちら(事前に金額が分かります)
