当時から音楽業界では「知る人ぞ知る存在だった」ヒロシは、自分の名前を伏せた。
これにより、アメリカのストリートブランドと同じと見なしたファンが「本店」を求めロサンジェルスを探し歩いたという。
1990年にヒロシは小泉今日子の「No.17」というアルバムをプロデュース。
その流れで、ライブツアー「小泉今日子‘91 セクシー・ダイナマイト・ツアー・MMK作戦」にも参加し、ライブTシャツを製作する。
その左袖と背に|GOOD ENOUGH|のタグが付いていた。
これは|SEDITIONARIES|の商品に付いていた長いタグを参考にしたもので、パンク好きのヒロシが出したアイデアだ。
これをきっかけに、袖などにタグを付ける事が普通になっていく。
さらに、大きな衝撃を生み出す。
1995年、|PORTER|とのコラボレーションを行う。これが、アパレルブランド同士での初めてのコラボだと言われている。
ヒロシは、1983年に発売された名品MA-1素材の「タンカー」を愛用しており、これを使ってレコードバッグの製作依頼をした。
その出来上がりに大満足だったヒロシは、|GOOD ENOUGH|とのコラボ商品として数量限定で販売。
この事を機に|PORTER|は全国区となり、|HEAD PORTER ヘッドポーター|に繋がっていく。